鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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― 345 ―マス・リシ窟にある〔図2、3、4〕(注6)。当例は後の造例に比して、最も忠実に実際の木造建築を写し取った形態を示している。入口上部には数枚の板を貼り合わせた屋根にピナクルを載せた尖頭形アーチが模刻される。その下辺には梁の角材断面(注7)を模した小型のブロックが並び、屋根と支柱の間にはねじ溝まで再現した太いねじが表されている。支柱は内側に傾斜した内転びの状態を示す(注8)。アーチと入口の間の欄間にあたる半円区画には、例えばカールラーのチャイティヤ窓のような〔図5〕、実際のアーチ型窓に用いられた半弧状の桟木と網格子が模刻される。唯一実建築と異なるのは桟木間に装飾帯を設ける点である。装飾帯中央にはストゥーパ様のモチーフが置かれ、これを囲むように象とマカラが刻される。また網格子の梁端には蓮華文も見られる。マカラや蓮華といった水に関わるモチーフは寺院入口に特化された意味、すなわち入場者の通過儀礼としての灌水・浄化のイメージを喚起するもので、グプタ以降の入口装飾でも特に好んで用いられる(注9)。また前2世紀のバールフット・ストゥーパ塔門やソーンクの横梁端にマカラを浮彫にする意匠があり〔図6〕、当例と共に後代のマカラ・アーチの祖型となる装飾概念を見ることができる。このような「入口の図像学」については稿を改めて論じる予定であり、ここでは簡単な指摘に留めたい。以上の観察からローマス・リシ窟の例は大部分では木造建築としての擬態を取りながら、一部入口装飾として意匠化され、聖域への導入部として相応しい要素が意図的に選択された形式と解釈できる。そして後代の造例では例えば梁端ブロックが歯飾りに〔図2〕、ピナクルとアーチが融合して馬蹄形(チャイティヤ)アーチへと変容するように〔図5〕、木造建築の擬態的要素が次第に装飾モチーフとして意匠化される過程をみることになる。なお当例のストゥーパ状モチーフについては、多くの寺院入口で内部の礼拝対象を入口上部中央に開示する事から鑑みて、窟内奥壁の祠堂区画に同様の礼拝対象が祀られていた可能性が高い(現在は欠損)。 次に前2世紀から後3世紀にかけて開窟された前期仏教石窟に目を転じると、大半は無装飾ながら前例のように尖頭アーチを入口に設けるものが4例ほど挙げられる(注10)。他にもアーチ形装飾は石窟のファサードやヴィハーラ窟の房室入口などに頻繁に表され(注11)、そのモデルは古代初期の説話図浮彫中の建築表現にも、王宮・仏教祠堂の別なく数多く見出される〔図7〕。アーチ型はグプタ以前の入口装飾の標準形式であったと見なしうる(注12)。このうち1世紀末のナーシクのチャイティヤ窟第18窟を見ると〔図8〕、建築形態は前例に比べて形式化が進んでおり、アーチ下部の桟木が蓮華唐草文に変容し、中央で法輪と三宝標、シュリヴァツサ(汎インド的

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