鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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吉祥文)を支えている。この組合せは古代仏教建築で多用され、特に無仏像時代の仏伝図においてはブッダを暗示する場面にも用いられる。すなわち当例では聖域への導入部であることが明確に意図されているのである。また、左右の支柱はアーチのサイズに不釣り合いな細身で内転びはなく、表面にパルメット様の植物文などが浮彫にされる。ここではアーチ建築の擬態としての支柱から入口構造の脇柱へ、ひいてはシャーカーへの意味の転化が図られている。またグプタ以降の入口装飾に不可欠の守門神が当例入口左右に立つ点も注目される。他の造例にはアーチ以外に特別な意匠は見られないため記述を割愛する。 ⑵ 塔門型入口装飾他方、アーチ形装飾を持たずかつ前期石窟で最も重視されるのは2世紀初頭のナーシク第3窟例である。これは上述第18窟よりやや造営が遅れ(注13)、ヴィハーラ窟でありながら広間後壁中央に礼拝対象となるストゥーパを浮彫にする点で注目される石窟である。その広間入口にはトーラナの浮彫が確認される〔図9〕。開口部上方に二本の横梁が、左右に支柱が表され、両外側に守門神も大きく浮彫にされている。言うまでもなくトーラナはストゥーパへ至る関門として古代仏教建築の中で発達した建造物であるが、後述するように様々な形態と用途があるため、以下ではストゥーパを囲むトーラナの一形態として狭義に「塔門」と称することにする。当例の表現を見ると二本の横梁間には支柱として溝彫りの施された細い円柱が10本並び、そのうち左右端の二本は筋交い状に傾斜し梁端を支えている。梁端は、先端を渦巻き状に巻き込んだ柔軟な蕨手形を呈する。横梁と支柱交差部のブラケットには後ろ足立ちの有翼のライオンが刻される。これらの表現はサーンチーの石造塔門の形態に比べ繊細で〔図12〕、より古様を呈するバールフットのそれに近く〔図6〕、木造門の写しであることは明瞭である。この入口装飾が奥壁中央のストゥーパに対応して制作されたことは多くの先学が指摘するところである(注14)。横梁間に垂直に並ぶ8本の円柱間には、ブッダの象徴物であるストゥーパ、菩提樹、法輪およびこれらを礼拝する神々あるいは王族、そして珍しく僧衣の比丘が浮彫にされる。特にストゥーパ浮彫が中央を占めるのは、窟内のストゥーパに準じた、礼拝対象の開示と解される。また、入口左右の横梁支柱には縦並びに方形区画を設け、それぞれに奔放なポーズを取る男女のミトゥナ像が表される。最下区画のみは踊るガナで占められる。これらのミトゥナモチーフは現存するストゥーパ塔門には見られない。しかしグプタ以降の入口では仏教、ヒンドゥー寺院共― 346 ―

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