― 347 ―に頻出し、建築系のテキストでも「ミトゥナ・シャーカー」として言及される。ガナ(プラマタ)を表すべきことも『ブリハット・サンヒター』に言及されている(55−35)。つまりこのミトゥナ区画は5世紀以降標準化される入口装飾モチーフの最古の先行表現例であり、そして同じく同時代の塔門装飾としては考えにくい横梁の比丘表現も含め、単なる塔門建築の擬態から特化されたモチーフへの意匠化・形式化が看取されるのである。さらに『ブリハット・サンヒター』に散見されるトーラナの用例を見てみよう。訳本では「アーチ」と記されるが、原義は広く関門の意味を含み、現存例を見ても必ずしもアーチ形とは限らないため以下では原語の「トーラナ」を用いる(注15)。第42章−58では「インドラの旗立て祭り」において、中心となるインドラの旗をトーラナで囲んだことを記している(注16)。あるいは儀礼のための祭楼自体の四方位にトーラナを設けるべきことも記される(注17)。また、第43章の「武器の祓い」ではまず然るべき場所にトーラナを作ってから祭場を設け儀礼を行い、トーラナの下に連れ出した象や馬の行為で吉凶を判じることが書かれている(注18)。 また、今日のヒンドゥー教寺院でもトーラナは木造石造を問わず境内の入口や神木の囲いなどに見られると同時に、仮設祭壇の出入口に設けられる事例がみられる(注19)。これらの記述からはトーラナが聖域を囲む・聖域への導入口となる・聖域を示す標識となる・通過するものを浄化する等の役割とを担っていることが理解され、それが畢竟寺院入口の象徴的役割と密接に関連することは明白である。三.結びにかえて─シャーカー型装飾の形成─ナーシク第3窟にみた塔門型入口装飾の造例は、現存例を見る限りでは唯一の特異な意匠と捉えられやすい。しかし筆者はこれまでに前期ヴィハーラ窟の入口に非アーチ型木製入口装飾の形跡を二例確認している(注20)。一例はナーシク第17窟の広間入口に、矩形の二重枠組の刻線がわずかながら確認できる(注21)。もう一例はジュンナールのガネーシュ・レーニ窟群第7窟広間入口で、横梁と支柱の接点にブラケットを設けた塔門の枠組が明瞭に判別でき、木枠を固定するためのほぞ穴も左右に残されている〔図10〕。詳細は拙稿に譲るが(注22)、いずれも鑿痕や表面劣化の同質性から後刻である可能性は極めて低い。興味深いのは両者ともナーシク第3窟同様、ヴィハーラ窟にストゥーパを祀るという(もしくは祀ろうとした)、前期窟初期例には見られない、そして仏堂を設け仏殿化した後期ヴィハーラ窟の先駆例と考えられる特殊な構想を持つという点である(注23)。ゆえにナーシク第3窟における塔門型装飾の
元のページ ../index.html#358