― 348 ―選択は、世俗建築やヴィハーラ窟の居住房にも多用されたアーチ型装飾とは一線を画し、宗教的象徴性の強いトーラナによってヴィハーラ窟に祠堂的性格が付加されたことをことさらに強調する目的を有するものと捉えられる。そしてグプタ時代に入るとシャーカーを矩形に重ねた形式が主流となりアーチ型入口装飾はほとんど例を見なくなる。 最大の理由は、この時代から石積み寺院が主流となり、技法上レンガ、木造または石窟浮彫のように柔軟にアーチ型を構築しにくくなった事だろう。しかし様式上の要因もまた見逃せない。グプタ時代の最初期の石積み寺院であるサーンチー第17祠堂を見ると、祠堂入口はまぐさと脇柱で構築される〔図11〕。浮彫による三重のシャーカーはT字の形状に屈曲し、最外シャーカー左右には壁柱が表される。文献にも規定される「スタンバ(柱)・シャーカー」である。壁柱上部から上辺のまぐさにかけて半弧を描くブラケットの輪郭が残り、J字形のブロックが別材で組み込まれていた事を示している。おそらくは当例前方に位置するストゥーパ第1塔塔門に見るような樹下女神であろう〔図12、13〕(注24)。このようなまぐさ石の形状とは無関係に屈曲するT字形の枠組と、構造上意味をなさない疑似ブラケットの挿入は、トーラナの形態を象った結果と考えざるを得ない。サーンチーよりわずかに5km離れたウダヤギリのヒンドゥー石窟群もグプタ初期例であるが(5世紀初頭〜前半)、やはりサーンチー例と同じく第6、19窟などにT字状に屈曲した三重のシャーカーやJ字形に張り出したブラケットモチーフが見られる。そしてブラケットには樹下女神(あるいは河神)が表される〔図14〕。時代が下る造例では上述のT字形のシャーカーの屈曲は失われて矩形に変化し、樹下女神のブラケットはJ字形から石積み構造に合わせた角状のL字形に変化するが、なお左右上隅に突出した位置がポスト・グプタ期までは維持され、入口全体としてのT字形状は失われない(注25)。ナーシクのような写実性は失われ、形式化が進むものの、アーチ装飾よりも宗教的象徴性を帯びたトーラナのイメージが、多かれ少なかれグプタ以降のシャーカー型装飾の中でも意識されているのである。5世紀後半に入りシャーカーがT字の枠形を失うとともにスタンバ・シャーカー内に庇屋根と支柱で構成された柱廊式ポーチの擬態が現れるが〔図1〕、これはいわばトーラナの建築形態を昇華させたものと解することができるかもしれない。 グプタ以降の入口装飾の展開および装飾面・象徴性における入口装飾の検討、また建築系テキストとの関連性についての考察などは今後の課題となるが、以上の形態の観察からもナーシクの塔門型装飾が決して単発的な異例の表現ではなく、5世紀以降主流となる表現形式へと継承される貴重な試みであったと結論づけられる。
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