⑾ 特殊な構造を持つピタルコーラー第4(ヴィハーラ)窟は例外的ながら基壇左方に守門神を伴った入口があり、上部のアーチ形区画にガジャ・ラクシュミーが(旧プリンス・オブ・ウェールズ博物館に収蔵)、さらに左右の竪枠にナーシク第18窟例に近似した植物文が浮彫にされる点で注目される。⑿ 他にオリッサー州のウダヤギリ・カンダギリのジャイナ教石窟を見ても、アーチ形入口装飾がデカンに限らず広く流布していたことが分かる。また古代中期までの説話図浮彫中の建築表現を見ても明らかである。⒃ ヴァラーハミヒラ前掲書、172頁。⒄ 同上書、59−1、285頁。⒅ 同上書、175〜176頁。⒆ 小倉泰『インド世界の空間構造─ヒンドゥー寺院のシンボリズム─』東京大学東洋文化研究所平成11年。187頁、図49、50。南インドのヤーガ・シャーラー(儀礼のための小屋)では小屋の南北にdva-ra(torana)が設置される。dva-raとtoranaが同義で用いられている点も注目される。またバンガロールのバラモン僧によれば儀礼の場に柱を立て紐を渡し、そこに聖なる樹葉を吊したものをtoranaと称するという。⒇ 他にも石窟の性質・デカンの石窟との影響関係も不明はあるが、グジャラート州ジュナガド石窟にトーラナ型入口装飾が2例確認される事もこの型の展開例として付記しておきたい。拙著(共著)『古代インドにおける宗教的造形の諸相〜寺院建築と美術の成立と展開〜vol.1』(科学研究費報告書、研究代表宮治昭) 2006年、204〜214頁。■ ナーシク第17窟に関しての考察と図版は拙稿「ナーシク前期ヴィハーラ窟をめぐる試論〜第17窟を中心に〜」『真鍋俊照博士還暦記念論集 仏教美術と歴史文化』法蔵館 2005年、47〜71頁参照。― 350 ―⒀ サータヴァーハナ朝ガウタミープトラ・シャータカルニに関わる寄進銘が残される。サータヴァーハナ朝の編年は、従来説ではガウタミープトラ・シャータカルニ王は2世紀前半、最近では1世紀後半とする説が有力視されている。詳しくは拙著『インド仏教石窟の成立と展開』、山喜房佛書林 2009年、133〜150頁、島田明「造形と仏教」『仏教の形成と展開』、佼成出版社2010年、283〜4頁参照。⒁ 詳しくは同上拙著、135〜138頁参照。⒂ 訳語について京都産業大学教授矢野道雄先生に直接お尋ねする機会があり、塔門を含めた「ト■ ジュンナールに関しては拙稿「ジュンナール ガネーシュ・レーナ第7窟の検討」『汎アジア■ 「チャイティヤ兼ヴィハーラ」窟の展開については前掲注⒀拙著、53〜73頁参照。■ ウィリアムズも指摘するように、後続する諸造例を見ても女神であった可能性が高い。当例の■ ウィリアムズはブラケットのブロックを一貫して「L字形」と記述するが、初期例のJ字形を区ーラ窟の房室入口、オリッサーのウダヤギリ・カンダギリ(ジャイナ)石窟は除き、またバージャーやコーンダーネーのようにチャイティヤアーチを開いて正面に障壁と出入口を設けない初期窟についても、ファサード装飾と捉えるため除外する。ーラナ」をアーチと訳されたという。ご教示に深く謝意を表する。の仏教美術』中央公論美術出版 2007年、47−77頁 参照。詳細はWillams, op. cit., pp. 38〜40.別することでより有効な編年研究が可能と筆者は考える。
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