鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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― 357 ―比較的忠実に保ちながら、両隻ともに右下から左上へと向かう独自の構図で場面を配置している。佐竹永湖はもと鳥取藩にて狩野派と土佐派とを学んでおり、その学習のなかで本主題に触れることもあったのだろう。19世紀半ば以降のごく近代においてもなお、本屏風が愛好された様相を知ることができる。以上に挙げた作例は、鑑賞に際して物語を辿ろうとした時、いずれも屏風でありながら、絵巻と似た視線の動きが体感できる。すなわち、絵巻の酒呑童子説話が有していた物語の時間軸が色濃く残されているのが第一類と第二類といえる。従ってこれらの作例に関しては、画面の特質を絵巻との差異という視点から考察することが有効であろう。以下その観点から、第一類と第二類に共通する画面構成上の特徴を挙げたい。⑴ 場面の選択サントリー本を筆頭に、絵巻形式の酒呑童子絵は、全部で29段の絵画場面を持つものが多い。それに対し第一、二類の作例は、画面面積に上限がある屏風というメディアの特性上、場面の取捨選択が行われている。例えば池上本門寺本は、19の場面を描き、石清水八幡、熊野、那智へと必勝祈願の参詣をする場面は除かれている。この点に着目すれば、池上本門寺本は屏風全体において、神仏による加護を示すような図様が抑制または置換されていることに気づく。神仏が頼光らを助けるというエピソードのウエイトを全体から極力省くことで、物語を「頼光の武勇譚」という文脈に収斂させているのである。屏風の画面のみからでも、ストーリーを見いだし易くするこの工夫は、絵巻から屏風へというメディアの変容に際して、単にその「詞書」を物理的に省くのみならず、絵画そのものにもテクストからの自立を促す変更がなされていることを示している。⑵ 構図の反転次に絵巻の構図を反転した図様が多用されることを挙げたい。その理由には、繰り返しの回避と、時間軸の保持が挙げられる。屏風の鑑賞は画面全体を見渡せる視野が前提となるため、絵巻以上に各場面間の構図に変化が求められる。その回避作として、逆転する構図は有効である。また物語の順序は保ちつつ、絵巻の画面が持つ左向性を解体して大画面上で滑らかに視線を誘導するような、時間軸の保持を可能にしてもいる。逆転構図の多用は、第一、二類の作例が、屏風であってもなお、物語の線的な時間軸に重きを置いていることを示していよう。各作例において場面を区切る金霞金雲

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