― 358 ―の表現が、横方向への導線を補強する役割が強いこともその傍証となる。⑶ 場面の合成限られた屏風の画面全体に、より多くのシーンを組み込むための工夫として、場面の合成も頻繁に用いられている。例えば絵巻では合計4場面(サントリー本中巻第5から8図)として描かれるのが通例である、公時ないしは綱と眷属とが舞を踊り交わすという一連の挿話の合成を、美濃部甲本と池上本門寺本によって比較してみたい。美濃部甲本では、頼光らが女の足を食べる場面(絵巻第5図)と、鬼が舞う部分(絵巻第7図)が一場面に〔図4〕、頼光らが酒呑童子に酒を勧める場面(絵巻第6図)と、公時が舞う場面(絵巻第8図)とが一場面に組み合わされている〔図5〕。絵から読み取ることができるのは、絵巻とは異なり、鬼たちのもてなしへの返礼として頼光達が舞を披露し酒を勧めるといった文脈である。一方池上本門寺本では、頼光らが女の足を食べる場面(絵巻第5図)〔図6〕を単独で描いた次に、(絵巻第6,7,8図)をひとつに合成した場面〔図7〕となっている。本作は、サントリー本に表出されていた酒を楽しむ酒呑童子の前で、鬼の踊りに対し、挑発し返すために公時が舞うという、三者が対峙する緊張感にあふれた状況にフォーカスしているといえよう。このように同場面においても、作例毎に異なる場面の合成によって、わずかながら、物語文脈に対して解釈の幅が生まれている。テクストから自立しゆく図像の再構築によって、物語文脈の解釈にも変化を与えていることがみえてこよう。⑷ 「場所」への認識と表出兵庫歴博本は、場面数の多さゆえに合成が積極的に確認できる作例であるが、その組み合わせは、「都」や「大江山」といった説話文脈内部の場所に対する認識に基づいて行われている。そして合成された場面を埋め込んでいく舞台として、体感的かつ地勢的な描写が用意される。例えば酒呑童子の住まう山岳(大江山ないしは伊吹山)に分け入っていく5つの場面は、大画面ならではの自由な縦幅と画面空間を生かし描かれた、三角形の山岳中に高低差をつけて配置されるのである。ここでは説話の文脈中における「場所」という要素が、屏風の構図を構築する要素として前面化してきている。またプライス本において物語の場へのまなざしは、酒呑童子の住まう「異界性」を強調する描写で示される。童子の住処で起こるエピソードは、画面の3分の2ほどを占める迷宮のごとき城閣中に散りばめられている。城閣の描写は、黄金の磚や、とり
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