鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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むすび最後に、この版画でもっとも注目すべき要素を手がかりとして制作意図を考察したい。その要素とは、画面ほぼ中央、居酒屋の入口アーチの闇を後光のようにして目立っている人物である〔図15〕。この人物と同じ奇妙な帽子を、画面右端で踊っている人物も被っている。この人物に関してスチュアートが興味深い指摘をしている。この人物は、1530年にハンス・ブロザマーにより制作され、ニュルンベルクの出版者ヴォルフガング・レッシュにより刊行されたルター肖像版画〔図16〕ときわめて良く似ているのである。帽子も上着もさらに容貌もこのルター肖像を意識した造形であることは間違いがなかろう。このルター肖像版画は妻カタリナ・フォン・ボーラ像と対になっているが、彼女はルターらしき人物の右隣二人目の女性像と似ている。ルターらしき人物に話しかけている男が見ている方向にその女性がいるのだ。その男の視線によって、ルターらしき男とカタリナらしき女は結びつけられる。この《ケルミス大版画》も《ルター夫妻像版画》もニュルンベルクで出版された。とすると《ケルミス大版画》を見たニュルンベルク市民の中には、ブロザマー版画を思い出し、この人物像からルターを想起した人が少なからずいたことであろう。ルターらしき人物は酒を飲み、踊っている。そこでケルミス禁止条令との関係でこの版画を見るとき、ルターの姿は、ケルミスを楽しみにしている人々にどのような反応を引き起こしたのだろうか。硬直した教説を強いたルターへの反感が、教えと矛盾した行動をとる宗教家を描き込むことで嘲りとしたと考えるべきだろうか。あるいはルターへの揶揄の意味が込められているとしても、ルターすら密かに潜り込むほど楽しい行事なのだというケルミスへの肯定的な表現なのだろうか。少なくともスチュアートが提示したような直接的なルター批判というのは考え過ぎのように思われる。前章で見たような版画の用途からすれば、このような版画がルター支持者への宗教的な反論になりうるとは思えないのである。さらにもう一つ付け加えるなら、このような版画はメーゲルドルフのケルミスの市でも販売されていたかもしれない。つまりこの版画は自らの販売経路をも暗示していたのではなかろうか。都市の居酒屋で、楽しいケルミスへと誘導する版画であり、そしてこの楽しい版画すらも売っているケルミスをも示している、と。― 26 ―

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