― 368 ―⑴ 大邱広域市慶北大学校博物館蔵石造浮■の多聞天像大邱広域市慶北大学校博物館蔵石造浮■(総高274cm、地台幅157cm、宝物第135号)は、方形の地台石の上に方形の下台石を乗せ、その周りに蓮弁を巡らした。また、中台石には亀趺を彫刻し、その両側に竜があらわされており、地の部分には雲文があらわされている。このような地台石と下台石、中台石の表現は、高麗光宗26年(975)頃の制作とされる高達寺元宗大師慧真塔と類似したものであり、上台石の反花においても酷似した表現がみられることから、この浮■の制作年代も高達寺元宗大師慧真塔と近い10世紀後半であると考えられる。塔身の南北面には門扉を、四維には四天王像を配置する。相輪部は欠損する。四天王像はいずれも甲冑を身にまとう武装形で、雲座の上に立ち、頭光を付ける。塔身に浮彫されている四天王像の像容をみると、多聞天像〔図1・2、総高44.0cm、像高34.0cm、顎〜頭頂9.5cm、顎〜髪際5.2cm、耳張6.5cm、顔張5.0cm〕は、両側に尼藍婆と毘藍婆を伴う地天女に支えられており、兜跋毘沙門天の系統を引く作例として注目される。頭部には三山形の宝冠(羽翼装飾をあらわさない)を被っている。右手で三叉戟を垂直に握り、左掌には宝塔を乗せている。中国や日本の兜跋毘沙門天像に度々みられる外套様鎧や両腕の海老籠手、長袖の金鎖甲の表現などは確認できないが、兜跋毘沙門天の最も大きな図像的特徴ともいえる両側に尼藍婆と毘藍婆を伴う地天女の表現がみられることや宝冠を被ること、三叉戟を持つことなど、いわゆる兜跋毘沙門天の図像に最も充実に取り入れた作例といえる。なお、その他の三尊は以下の通りである。持国天は上に向けて垂直に剣を右手で持ち、左手は胸前に屈臂し宝珠(?)を捧げている。雲座と共に2体の邪鬼の上に立つ増長天は、右手で剣を持ち、左手は胸前に屈臂し拳を握っているようにみえるが、摩滅が著しく明確ではない。広目天は右手を胸前に屈臂し矢を握っており、左手では腹前において矢を握っているが、右手にもつ矢よりは短いものである。⑵ 法興寺石造浮■の多聞天像江原道寧越郡水周面法興里に所在する法興寺寂滅宝宮にある石造浮■(江原道有形文化財第73号)は、制作年代は不明であるが、同じく法興寺の境内にある澄曉国師切中(826〜900)の 浮■(江原道有形文化財第72号)の形式を踏襲しながらも、塔身部の膨らみが少し減少していること、塔身部の彫刻が慶尚北道醴泉開心寺址五層石塔(1010年、宝物53号)の浮■と類似した様式を示しており、11世紀初頃の建立と思われる。塔身には南北面に門扉を、東南面と西南面に仁王像を、そのほかの面に四天王
元のページ ../index.html#379