― 375 ―㉟ 画家ポール・ゴーギャンにおけるnostalgia表象と自己存在研 究 者:立命館大学大学院 社会学研究科 研究生 住 田 翔 子はじめに本研究は、19世紀フランスの画家ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin, 1848−1903)における自己存在追求とその芸術創造とが、nostalgiaによって遂行されたことを、当該社会の思想動向と合わせながら考察するものである。ゴーギャンの自己追求に関しては、主に心理学的視点からの考察がなされてきた。代表的なものとして、熱帯の楽園タヒチへの旅はゴーギャンが自己を再規定するために行った幼年期への退行であったとの指摘がある(注1)。しかしながら、ゴーギャンの自己追求においては、幼年期への退行というよりも、現前するものの過去性を感受し自己存在へと投影するnostalgiaが重要な役割を担ったと考えられる。nostalgiaは、漠然とした過去への郷愁ではなく、現在の自己存在の不安定さを解消すべく、もはや失われてしまったがゆえに安定し変化することのない安らぎを覚える過去性を目の前の対象から感じ取る感情である(注2)。ゴーギャンの場合、初めての自画像《イーゼルの前の自画像》〔図1〕を制作した1885年を境に自己に対する認識が生まれていると捉えられる。当時妻の故郷コペンハーゲンに滞在していたゴーギャンは、経済的貧窮および家族からの芸術制作に対する無理解によって、社会的疎外感を感じていた(注3)。自画像には、屋根裏部屋で画架を前にパレットを持ち制作するゴーギャンの姿が描かれているが、ゴーギャンの視線、色彩および構図によって、自らを解放する光を求める芸術家の姿が表現されている。つまり、ここにおいてゴーギャンは自己のあり方について眼を向け始めたと考えられる。その後ゴーギャンは、各地を訪れ滞在しながら制作活動を進めているが、重視すべきは、ゴーギャンが実際の場所を訪れている点にあり、このような行動過程は、自らを安定させる場所の模索であったといえる。そして特に注目するのは、1886年に始まるブルターニュ時代である。ゴーギャンはこのフランス西部の地方を1886年に初めて訪れて以後、幾度かブルターニュ滞在を繰り返している。当時のブルターニュは、社会ダーウィニズムの影響を受けて、パリ、ひいてはフランス国家の「起源」なる土地としての位置づけが高まる時期にあたり、それゆえにゴーギャンのブルターニュに対する眼差しもパリのブルジョワジーの自己中心主義的視点と同等視されている(注4)。しかしながら重視すべきは、ゴーギャンのブルターニュ滞在が自己追求の過程にあった点である。この時期、ゴーギャンは
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