鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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2.ゴーギャンのブルターニュ表象─1886年、1888年、1889年の作品を中心にゴーギャンの初期のブルターニュ描写は、ポン=タヴァンを描いた他の画家たちが好んだモチーフと一致する。ただし、その描写手法は師事していたピサロ(Jacob Camille Pissaro, 1830−1903)やその他の印象派画家に負う点が多い。彼は1886年において《愛の森の水車の水浴場》、《ポン=タヴァンの女性と子ども》、《シモヌー水車場の洗濯女性》、《ロリションの牧草地とポン=タヴァンの教会》、《ブルターニュの羊飼いの少女》などの情景を描き出している。このような他の画家と変わらない描写傾向にある一方で、人物描写にはゴーギャンの関心を見ることができる。特に《愛の森の水車の水浴場》〔図3〕および《ブルターニュの羊飼いの少女》〔図4〕の2作品における、腰を落として座る少年、少女の姿は、人間の大地とのつながりを喚起する。草地に座る女性自体は、ピサロの《草取りをする者たち》(1882)などの作品にも見られる姿である。またこの座る姿が労働せず休息する姿と捉えられる点から、「都市」の「地方」に対する憧憬における不変な他者を象徴すると論じる考察もある(注13)。しかしながら、不自然に体をひねって地面に両手をつく描写からは、モチーフの転用、または典型的な他者描写に留まらない、身体部分の地面との接触を保持させようとする意図を読み取ることができる。それは、これまで家族以外ほとんど描くことのなかったゴーギャンの人間に対する視線の萌芽といえよう。― 378 ―というように、水車のあるピクチャレスクな情景を印象づけ、カンブリーの花崗岩の大地を想起してはいない。これ以後ポン=タヴァンは、アメリカからパリへ来た学生たちが夏に訪れる場所となる。創始者のひとりロバート・ワイリー(Robert Wylie, 1839−1877)は、《ブルターニュの占い師》(1871−72)〔図2〕などブルターニュの神秘的な側面を描写し、1872年のサロンではアメリカ人画家初の二等賞に輝いた。これによりポン=タヴァンの名も知られることとなったと考えられ、それまで例年1〜2点だったサロンに出品されたポン=タヴァン描写作品が、1875年以降増えている。ただしその題材には、ワイリーのようなブルターニュの特殊性を提示するものよりも、むしろ洗濯場、水車場、アヴァン川、ポン=タヴァン港、牧草地や農道といった風景が選ばれ、女性や子どもを配した作品もあった(注12)。このように、ブルターニュには、「野蛮」、「楽園的」あるいは「自然との融合」というイメージがあり、ポン=タヴァンにおいてはもはや美しい「地方」のひとつといったイメージが付されていった。1886年の滞在後、ゴーギャンは南米マルティニックを訪れ制作活動を行い、病によ

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