鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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― 379 ―ってはからずも帰国することとなった。そして1888年1月再びブルターニュへ赴く。滞在直前に妻へ宛てた手紙では「冬の地方は私の健康にとってもちろん全く好ましくない。だがそこで7、8か月続けて仕事をしながら、良い絵画を制作するために、地方の人々や本質的なるものを洞察する(注14)。」と述べている。また画家仲間のシュフネッケル(Claude-Emile Shuffenecker, 1851−1934)は、次のようにブルターニュの印象を語るのである。…わたしはブルターニュが好きだ。わたしはここに、野生的で(le sauvage)プリミティフな(le primitif)ものを見つける。わたしの木靴が花崗岩の大地の上に響くとき、わたしはわたしが絵画に探し求める、内にこもった鈍くたくましい音を聞く。…(注15)このようなゴーギャンのブルターニュの捉え方は、かつてカンブリーが示したものと同様の視点であるかに思われる。つまり「花崗岩の大地」がブルターニュの「地方の人々や本質的なるもの」としての「野生」や「プリミティフ」を象徴するという見方である。他方でゴーギャンが、ブルターニュとそこに住まう人々に少なからず自己を同一化させる点を見逃すことはできない。この点は1886年にはさほど積極的に見られる傾向ではないが、前年のマルティニック滞在を経て、ゴーギャンの人間に対する眼差しはより自己存在のあり方と関係づけられることとなる。これは、自らの安住できる場所をめぐるゴーギャンのnostalgiaが、この1888年のブルターニュ滞在において明確になったことと捉えることができよう。この点を考える上で、人間の大地とのつながりをさらに強化しているといえる《格闘する少年たち》〔図5〕を考察したい。《愛の森の水車の水浴場》と同じ場所で夏に描かれたこの作品は、構図的には、画面下部から上部にかけて地面を緑色で塗りつぶし、一点透視図法的な奥行きを一切排除している。そしてその平坦な地面の上で、ブルターニュに伝わるレスリングを真似る青、赤の下着を身につけた少年の姿がある。シュフネッケル宛ての手紙では「君が満足するような裸体画の作品をいくつか仕上げたばかりだ。それは、全くドガ風ではない。最新の作品は、川のそばでの少年2人の格闘で、ペルーの野生人によって完全に日本風に制作されたものだ。そしてあまり仕上げていない(Très peu exécuté)芝生の緑とその上の白色(注16)。」と述べている。またしばらく後にはゴッホ(Vincent van Gogh, 1853−1890)に宛てても作品について語っている。

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