鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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― 381 ―いては、素朴で迷信的な偉大なる単純さを達成したと感じている。…私にとって、この絵の中での風景と闘いは単に説教の後に祈る人々の想像の中に存在しているにすぎなく、それこそが自然に見える人々の姿と、不自然で不均衡な風景での闘いとの間にコントラストを持たせている理由なのだ(注20)。」とゴーギャンは語る。ゴーギャンは下塗りを施していないカンヴァスにワックスを塗る一方で仕上げのニスを用いず、教会の壁画にみられるマットな表面を得た(注21)。また、《格闘する少年たち》と同じく、ここでも日本の浮世絵や北斎漫画からの影響が見受けられる。つまりゴーギャンは、絵画形式における「プリミティフ」性と人々の祈りという絵画内容とを重ね合わせ、信仰心厚いブルターニュの人々という典型的イメージではなく、「偉大なる単純さ」という意味で捉え直すのである。さらにこの絵画の元々の額縁には、Don de Tristan de Moscosoというペルーで副王になった母方の祖先の名が記されていた(注22)。ここにおいてゴーギャンのnostalgiaは、大地との密接なつながりに加えて、人々の祈りに対しても向けられるものとなる。そしてこの大地と人間の祈りに対する眼差しは、1889年制作の《黄色いキリスト》〔図7〕《緑のキリスト》〔図8〕においてより強化される。教会、そして墓地という本来の場所から、牧草地へと転置され、祈りを受けて生命を象徴する黄色に輝くキリスト、そして「野生」を象徴する緑の地面へ腕を伸ばすキリストは、いずれも祈りを捧げる人々と共にある。ゴーギャン自身の重ね合わせでもあるこのキリストは、殉教者でありながらも人々の祈りを受けて生きる芸術家の姿を表現している。おわりにゴーギャンにおけるブルターニュ描写は、ブルターニュに対する「野蛮」さ、あるいは「自然と密接な」イメージを持ちつつも、作品形態と作品の制作者を重ね合わせることによる、自己との同一性を強調するものであった。それは、自己の確立に伴うブルターニュあるいは「地方」という他者との隔絶を図るものではなく、自己の延長線上にある他者の姿を映すものといえる。そしてゴーギャンは、そのブルターニュ表象にみられる「野生」を、《レザヴェンでの自画像》(1888)〔図9〕および《黄色いキリストのある自画像》(1889)〔図10〕へと照射させる。ただしここで指摘すべきは、「ペルーの野生人」としてのゴーギャンというよりも、むしろ1885年の《イーゼルの前の自画像》で表現された不安定な自己存在を抱えるゴーギャンの、ブルターニュを経て獲得したアイデンティティが示されていることであろう。ゴーギャンのnostalgiaは、さらなる芸術創造を目指しタヒチへと赴くゴーギャンという基盤を形作ったとい

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