― 388 ―ぜられている(注8)。法量は詞書が26.1×33.0センチメートル、絵が28.0×24.7センチメートルで、横長の詞書に縦長の絵という組み合わせをとる。一部、絵と詞書の一致しない段があるが、以下の画面が現存する(丸囲みの数字は現状の配列順を示す)。 ①第四段「西の対」 ⑦第二十三段「高安の女」 ②第五段「関守」 ⑧第百段「忘れ草」 ③第九段「八橋」 ⑨第六十五段「御手洗川の禊」 ④第九段「宇津山」 ⑩第八十三段「小野の庵」 ⑤第九段「富士山」 ⑪第八十七段「布引の滝」 ⑥第二十三段「河内越」 ⑫第八十七段「海松」鉄心斎本を収める箱の蓋裏には、土佐光起が記したとされる添状が写しとられており、その記述によれば詞書は近衛信尹、絵は土佐光信の手になるという。詞書は三藐院流を強く留める書風から、近衛信尹かそれに極めて近い人物の手によるものと推察される。また絵に関しては、土佐光信工房での制作が指摘されるハーヴァード大学美術館本「源氏物語画帖」の影響をはじめとして、享禄四年(1531)成立「当麻寺縁起絵」、天文元年(1532)成立「桑実寺縁起絵」といった土佐光茂基準作と極めて近しい画面を有することから、光信没後、光茂主導下の土佐派工房で制作されたと考えられる。鉄心斎本の絵を系統論の観点から捉えなおすならば、その場面選択、図様構成においてチェスター・ビーティー図書館蔵「伊勢物語冊子」(チェスター・ビーティー本)、サントリー美術館蔵「伊勢物語色紙貼交屏風」(サントリー本)と極めて近しい関係を結んでいる。例えば、「関守」の段が、一般には物語の後半部、破れた築地、あるいは門に番人が置かれ、男が女のもとへ通うことが出来なくなったという場面を描く伝本が圧倒的に多いのに対し、鉄心斎本〔図1〕、チェスター・ビーティー本〔図2〕には番の姿は描かれず、男が破れた築地をいままさに越えようとする物語前半部が絵画化されている。このような特異な場面選択のほか、近似の幅はあるものの、鉄心斎本現存十二場面はチェスター・ビーティー本と極めて近しい画面を有する。また、「富士山」の段においては、男が馬上姿で富士山を見るという一般的な構図ではなく、男は馬を下り、緌をかけた巻纓冠、矢弓を具す武官の姿で描かれる。これは、現存作例の中でも鉄心斎本〔図3〕、サントリー本〔図4〕に見られる特徴的な表現といえる。この他、「関守」、「忘れ草」、「御手洗川の禊」、「海松」など、場面選択、図様構成を異にする段もあるが、残る八場面は少なくとも同一の画面を有し、サント
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