2、鉄心斎本系統の再構築─斎宮歴博本の位置─斎宮歴博本は全三巻、六十三の場面からなる。江戸中期頃の制作とみられ、絵はチェスター・ビーティー本、海の見える杜美術館本「伊勢物語画帖」(海の見える杜本)との一致が指摘されている(注9)。これを踏まえるならば、鉄心斎本とこの三伝本は同一系統に位置するということになる。ただし、海の見える杜本は現存する場面が全十八図であり(注10)、この系統の中では斎宮歴博本が最も多くの場面を有する。改めて、鉄心斎本と斎宮歴博本の画面について確認しておきたい。― 389 ―リー本は鉄心斎本系統の伝本を大いに参照したと言うことができる。以上の点から、鉄心斎本は少なくともチェスター・ビーティー本、サントリー本の場面構築を支えた図様系統を引くものとして位置付けられる。後述するように、チェスター・ビーティー本、サントリー本は多くの近世伊勢絵が制作されるにあたって大きな影響力を及ぼした嵯峨本に連なるという点において重要な伝本であると言え、それを■る伝本として鉄心斎本が位置付け得ることの意義は大きい。ただし、鉄心斎本は現存するのが十二場面と、全段に及ぶ比較考察を試みることがかなわない。これを補うものとして注目したいのが、斎宮歴史博物館蔵「伊勢物語絵巻」(斎宮歴博本)である。例えば、先に掲げた「関守」〔図5〕は、鉄心斎本、チェスター・ビーティー本で確認された物語の前半部、男が破れた築地を乗り越え、女のもとへ通う様が選択されている。また、「富士山」〔図6〕も、男が馬上ではない点、武官の装束をまとっている点など、鉄心斎本に一致する(注11)。この他、「海松」〔図7・8〕や「忘れ草」〔図9・10〕といった、諸本において絵画化されることの比較的少ない段を有することも、その特徴として指摘できる。鉄心斎本と斎宮歴博本はそれぞれ色紙と絵巻と、画面のフォーマットを異にしているものの、特異な場面選択や画面構成を共有し、極めて近い図様系統に位置すると言うことができるだろう(注12)。ただし、「関守」においては、鉄心斎本が築地を画面奥に配し、男は正面向きで描かれるのに対し、斎宮歴博本は破れた築地を画面手前に配し、後ろ姿の男を描く(注13)。また、「富士山」において、諸本で確認できる馬を鉄心斎本が描かない点など、鉄心斎本独自の表現も確認される(注14)。どちらがより「オリジナル」に近い要素をとどめているのか、今後さらなる議論が必要となるが、斎宮歴博本は鉄心斎本の属する系統の型をとどめるものとして貴重な伝本と言うことができるだろう。
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