3、嵯峨本伊勢物語絵の源流先にも取り上げたサントリー本は四十九葉の色紙絵(嵯峨本と同数)を六曲一双の屏風に貼り交ぜたもので、その成立は十六世紀末期を降らない頃とされる。サントリー本に関しては佐野みどり氏の詳細な論考があり(注15)、その作画は土佐光信以降、光吉以前のやまと絵画家によって担われたという。また、佐野氏によればサントリー本は嵯峨本に先行する伝本で、両者の図様の大半は一致するという。ただし、両者図様を異にする六図(第六段「芥川」、第八段「浅間山」、第九段「八橋」、同「富士山」、第十八段「白菊」、第四十九段「若草の妹」)に関しては、サントリー本はチェスター・ビーティー本との一致をみせるという。― 390 ―以上のように、絵の成立年代や様式面に関してはそれぞれ距離のある伝本ながら、場面の選択、図様の構成に関しては鉄心斎本、斎宮歴博本、海の見える杜本、そしてチェスター・ビーティー本を一つのグループ(以下、この系統を仮に鉄心斎本系統と総称する)としてとらえることができる。そして、この系統の図様はサントリー本や嵯峨本、住吉如慶本にも継承されたと考えられ、十六世紀後半から十七世紀にかけての伊勢絵の図様展開を考える上で重要な位置を占めるものと思われる。以下、具体的に見ていきたい。佐野氏の指摘を踏まえた上で、鉄心斎本、斎宮歴博歴本を加えて比較検討を試みるならば、チェスター・ビーティー本と同様の傾向が得られることが明らかとなる。先に取り上げた「富士山」をはじめ、同じく男を馬上姿で描かない「浅間山」。「芥川」では、嵯峨本が物語前半部、男が女を背負う場面を描くのに対し〔図11〕、サントリー本他は物語後半部、荒れた建物の戸口で女を守る男の姿を描く〔図12〕。残る三図も人物や各モティーフの配置など、サントリー本は鉄心斎本系統の図様に近似する。さらに、詳細は別稿に譲るが、細部の差異を捨象した上でこの他の段を比較してみても、サントリー本と鉄心斎本系統の場面選択、図様構成がほぼ一致することが確認できる。少なくとも鉄心斎本が室町後期に成立していたということを踏まえるならば、サントリー本は鉄心斎本系統の図様を相当程度参照することで構築されたと推察されるのである。ただし、両者が異なるおもむきの画面を有するものも五図(第五段「関守」、第二十段「春の紅葉」、第四十一段「緑衫の袍」、第五十一段「前栽の菊」、第六十五段「禊」)ほど確認される。例えば、先述した「関守」は、鉄心斎本系統が破れた築地を乗り越える男を描くのに対し、サントリー本は門外に番人を配する図様を選択してい
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