鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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4、住吉如慶筆伊勢物語絵試論現在確認できる住吉如慶の描いた伊勢絵は二点現存する。東京国立博物館蔵の絵巻(如慶絵巻本)と大英博物館蔵の画帖(如慶画帖本)である。如慶絵巻本は全六巻に八十場面を描き、如慶画帖本は九図が現存する。如慶絵巻本の詞書は愛宕通福が記したことが第六巻巻末の記述から知られ、各巻末には「住吉法橋如慶筆」の落款が確認される。また、如慶画帖本には「住吉法橋筆」と記され、両本はともに如慶が「住吉法橋」と名乗った寛文三年(1663)以降、如慶没年の寛文十年(1670)までの制作と認められる。如慶絵巻本に関しては河田昌之氏による全場面にわたる詳細な分析があり(注18)、如慶画帖本に関しては池田忍氏による解説がある(注19)。― 391 ―る〔図13〕。「春の紅葉」では、サントリー本が、紅葉が女のもとへ届けられた場面〔図14〕を、鉄心斎本系統は物語前半部、男が紅葉を手折る場面〔図15〕を描き、絵画化されたプロットをそれぞれ異にする。さらに、興味深いことにこの五図に関しては、サントリー本と嵯峨本はほぼ完全に一致をみせている。サントリー本の図様の一つの源流を鉄心斎本系統に求めた時、改めて重要となってくるのが、サントリー本と嵯峨本との関係である。サントリー本と嵯峨本が画面を同じくする四十三図は鉄心斎本系統にも同様に共有されており、直接の参照関係の有無はさておき、この三者が何らかの形で交差していたことは間違いない。嵯峨本そのものの制作にあたっては狩野派の関与が想定され(注16)、同時に土佐光吉の色紙絵の手法からの影響も指摘されている(注17)。これら嵯峨本制作に直接に関わった絵師に関してここで論じる余裕はないが、少なくともサントリー本を■る鉄心斎本系統の図様を嵯峨本も何らかの形で参照していた可能性が高いと考えられるのである。以上の点は、この鉄心斎本系統の図様が十六世紀から十七世紀前半の伊勢絵の中である程度強い影響力を有していたことを示している。その一因は、この系統に位置する鉄心斎本が室町後期の絵所周辺=土佐派で制作されたということと密にかかわるのではないか。この絵所様式の伊勢絵が、後の伊勢絵の図様系統に一つの型を提供したという可能性である。これを考える上で住吉如慶の伊勢絵は大変興味深い素材を提供してくれる。如慶絵巻本と如慶画帖本は画面のフォーマットは異なるもののほぼ同じ画面構成を有する。両本の各場面を諸本と比較してみた時、如慶はある特定の系統から図様を引いたというよりも、様々な伝本の図様を織り交ぜながら画面を構築していったと考え

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