鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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⒀ チェスター・ビーティー本、海の見える杜本も斎宮歴博本と同構図をとる。⒁ この他、「八橋」において「橋」を描かないことなどが挙げられる。⒂ 佐野みどり「サントリー美術館所蔵伊勢物語色紙貼付屏風をめぐって」『国華』1245号、1999⒃ 川崎博「研究資料 嵯峨本『伊勢物語』の挿絵作者について」『国華』1258号、2000年⒄ 仲町啓子「近世初期の伊勢物語図屏風について」『古美術』97号、1991年。同「室町から江戸注⑴ 伊藤敏子『伊勢物語絵』角川書店、1984年⑵ 千野香織『伊勢物語絵(日本の美術301号)』至文堂、1991年⑶ 羽衣国際大学日本文化研究所編『伊勢物語絵巻絵本大成』角川学芸出版、2007年⑷ 五島美術館「伊勢物語の世界」展、1994年⑸ 和泉市久保惣記念美術館「伊勢物語 雅と恋のかたち」展、2007年⑹ 出光美術館「王朝の恋」展、2008年⑺ 土屋貴裕「鉄心斎文庫蔵「伊勢物語画帖」について」『美術研究』399号、2010年⑻ 鉄心斎本に関する先行研究としては、鉄心斎文庫編『伊勢物語絵の伝統(鉄心斎文庫所蔵伊勢物語図録第十九集)』(2000年)における片桐弥生氏による解説、和泉市久保惣記念美術館編「伊勢物語 雅と恋のかたち」展図録(前掲注⑸)における河田昌之氏による解説がある。⑾ 中尾家本には「富士山」と「宇津山」の段を同一画面に表わしていると思われる場面があり、ここでも男は馬上では描かれない(武官の属性としての弓矢は従者が負っている)。この他の場面でも、中尾家本と鉄心斎本、斎宮歴博本、チェスター・ビーティー本の画面は多くの近似を見せており、中尾家本はこの系統を参照した可能性が高いと言える。― 393 ―⑼ 泉紀子氏、澤田和人氏による作品解説(『伊勢物語絵巻絵本大成』、前掲注⑶)。⑽ 海の見える杜本は、そのフォーマットからもとは絵巻の形態であったと推察される。なお、海の見える杜美術館編「物語絵」展図録(2006年)に一部図版が掲載されるほか、『伊勢物語絵巻絵本大成』(前掲注⑶)に泉紀子氏、澤田和人氏による作品解説がある。⑿ 紙面の都合上、両者の全場面を比較対照することはかなわないが、土屋貴裕「鉄心斎文庫蔵「伊勢物語画帖」について」(前掲注⑺)で述べた鉄心斎本各段の特徴的表現のほとんどは斎宮歴博本でも同様に確認できる。絵画派における図様の継承を考える上で極めて重要な問題を提起する。また本論で「鉄心斎本系統」と仮にくくったこの伊勢絵の系統は、これまでの研究史ではチェスター・ビーティー本によって代表されてきたものだが、チェスター・ビーティー本の画面が「正系のやまと絵様式」から距離があったためか、その図様は周縁的なものとして位置付けられてきた。だがこれに、室町後期の土佐派様式を示す鉄心斎本と、全六十三図にわたる斎宮歴博本を加えた時、中世から近世への伊勢絵の図様系譜とその展開は、従来の見解を再考すべき段階に至ったということができるだろう(注23)。中世から近世への伊勢絵、ひいてはやまと絵図様の展開を明らかにするため、鉄心斎本系統のさらなる調査研究が望まれよう。年

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