注⑴ 科学研究費補助金2004−2006年度採択課題『戦後の日本における芸術とテクノロジー』(基盤研究B、研究代表者・松本透)の一環として行われた。⑵ Miwako Tezuka, Jikken Kobo (Experimental Workshop): Avant-Garde Experiments in Japanese Art of ⑸ 秋山邦晴「〈実験工房〉による音楽の変革と拡張」『実験工房と瀧口修造』佐谷画廊、1991年、⑹ 秋山邦晴「〈実験工房〉による音楽の変革と拡張」前掲、30頁。⑺ 山口勝弘・五十殿利治「山口勝弘インタビュー」『総合造形』創刊号、筑波大学芸術専門学群、Archives、Northwestern University Music Library30頁。the 1950s, Ph.D Dissertation, Columbia University, 2005. ⑶ 西澤晴美「1950年代を中心とする美術と舞台芸術の研究」博士論文、筑波大学、2010年。⑷ 『戦後の日本における芸術とテクノロジー』科学研究費補助金(基盤研究B、研究代表者・松本― 403 ―ルとプリペアド・ピアノの曲を組み合わせる着想を得たと考えることは十分可能であり、ケージの曲を舞台に取り入れた早い例として意義深いものであったと考える。おわりに本研究では「実験工房」の結成前から50年代半ばころまでの、海外動向との関わりについて考察してきた。この時期、「実験工房」のメンバーは園田と駒井がヨーロッパに出たことを除き、海外に出ておらず、主に書籍や雑誌などからアメリカを主とした美術・音楽動向を入手していた。そうした状況下で重要な情報収集の拠点となったのがCIEライブラリーであり、また、ノグチの来日や秋山とケージの文通は、直接海外の芸術家と交流を持つ貴重な機会となった。謝辞本論文の執筆にあたり、次の方々あるいは機関よりご教示や資料の提供を賜りました。ここに記して御礼申し上げます。山口勝弘、福島和夫、高橋アキ、権藤芳一、大谷省吾、North Carolina State 1960年代前後になると、山口勝弘、秋山邦晴は相次いで渡米し、フルクサスの日本での活動を担うようになる。そのため、今後はブラック・マウンテン・カレッジからフルクサスに至るジョン・ケージの活動と、日本人芸術家との交流に焦点をあて、60年代の日本のハプニングと、70年の大阪万博までのインターメディア・アートの展開について解明を進めたいと考えている。透)研究成果報告書、東京国立近代美術館、2007年3月、38−47頁。
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