2.北朝期河北地方白玉像における神王像の諸特徴現在白玉像は河北地方を中心として、山東省と山西省の一部地域からも出土している。白玉像に彫られた神王像は数多く報告されているが、本稿では実物調査や写真データの収集に基づき〔表〕に表わした次の五体〔図1〜5、表−⑥〜⑩〕を中心に取上げる。― 407 ―下、駱子寛像)の台座には、十体の神王像が尊名とともに線刻されている。これらの神王像は後代の作例を神王像として判断する根拠となっており、「十神王像」として呼ばれることもある。そのほか、河北地方出土の白玉像や河南地方洛陽付近(注4)の作例も確認される。以上に挙げた北朝期の神王像を分類すると、動物をモチーフとするもの(龍神王、獅子神王、鳥神王、象神王、牛神王、馬神王など)と、自然現象をモチーフとするもの(風神王、火神王)、自然景物をモチーフとするもの(河神王、海神王、山神王、樹神王など)、吉祥・財宝をモチーフとするもの(珠神王)、仏教における尊格(鬼子母神)、などに分けられる。中国北朝期に流行した神王像については、インドの夜叉(ヤクシャ)像や中国伝統の畏獣像に図像上の源流が求められてきた。インド説は、中国において五世紀以前の神王像の作例がないことを根拠とし、神王像の起源はインドの夜叉(ヤクシャ)像に■る(注5)というものであり、また中国説は、中国の伝統的な多神崇拝に根拠を求め、南朝の画像石や墓の壁画などで表されている畏獣像を起源として想定する(注6)。また仏典においては、東晋の仏陀跋陀羅訳の『大方廣佛華嚴經』巻第一「世間淨眼品」(注7)、東晋の帛尸梨蜜多羅訳の『潅頂経』巻第五、同巻第七(注8)、さらに北涼の曇無讖訳の 『大般涅槃経』「寿命品」(注9)と同訳の 『金光明経』巻第三(注10)などにおいて、これらの神王像に登場する神々は護法善鬼として鬼神と共に仏教の守護神として語られることが知られる。以上、神王像は東魏から北斉時代の石窟や石造像に全盛を迎え、守護神として用いられたことが確認される。ところで、近年発掘が続けられている河北地方の白玉像にも数多く神王像の作例がみられる。以下では白玉像における神王像を取上げ、その諸特徴について考察を進めたい。〔図1・表−⑥〕弥勒仏倚像(北斉天保三年(552)大原美術館所蔵)高72.5
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