〔図2・表−⑦〕石造交脚仏五尊像(クリーブランド美術館所蔵)高86.3〔図3・表−⑧〕石造五尊仏立像(ギメ美術館所蔵)高133〔図4・表−⑨〕弥勒七尊像(河北省文物研究所所蔵)残高55.5〔図5・表−⑩〕如来七尊像(河北省文物研究所所蔵)高73これらの白玉像は石造五尊仏立像〔図3〕が最も大きく、すべて一メートル以下ではあるが、他の河北地方から出土した白玉像が殆ど五〇センチ以下であることに比べるとかなりの大作である。構成は、河北省文物研究所所蔵の二作例が七尊像、他には中尊と左右に菩■、比丘を配置した五尊像である。半円形の光背が大きく表され(〔図4〕の光背は一部欠損)、長方形の台座正面に香炉を中心とし左右に獅子や力士、比丘などが表される。また様式面では、仏、菩■像などに肉づきがよい面相や薄い衣服など、北斉時代、中でも天保年間(550〜560)の典型的な要素が看取される。さらに上述の作例のうち、弥勒七尊像〔図4〕と如来七尊像〔図5〕は共に当時の首都がおかれた■(臨漳県習文鄕太平渠)から出土し(〈河北地方周辺都市と石窟地図〉参照)、首都の造像傾向を窺わせる貴重な作例である。それ以外は、殆ど制作地不明ではあるが、弥勒仏倚像〔図1〕の場合、背面の縁脇に、北斉の天保三年(552)、趙元宗らが「弥勒一区」を造り、一切衆生のために供養するという発願文が刻まれている。さらに台座正面には供養主趙元宗の家系の複数の趙氏の名が登場し、弥勒仏倚像〔図1〕が趙県(河北省南東部に位置)という地域と結びつくとの意見もある(注11)。続いて、白玉像に表された神王像の様相を見てみたい。まず、駱子寛像の「龍神王」、「風神王」、「珠神王」、「(火)神王」、「樹神王」、「山神王」、「河(海)神王」、「象神王」、「鳥神王」、「獅子神王」という尊名に基づいて、各神王像の尊名を比定した。〔表〕に纏めたように、中には尊名を判断し難いものもあるが、河、樹、風、鳥、象神においては、それぞれの特徴が備わっている。また、これらの白玉像には鞏県石窟にみられた兎、蛇、馬、牛神王像などは表されず、種類は駱子寛像の十体を超えない。神王像の数や構成においては、 背面に四体、側面に二体ずつ、計八体が主流で、台座に凹形の尖拱龕をおき、その中に神王像が一体ずつ表わされている例が数多く見られる。如来七尊像〔図5〕のみは、台座の背面にだけ八体を並べている。計八体という神王像の総数と関連して、仏典上ではこれらの守護神を「天龍八部」と総称することに注目しておきたい。例えば、仏陀跋陀羅訳の『大方廣佛華嚴經』で― 408 ―(単位cm)
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