鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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⑵ 常青前掲論文、1128〜1136頁、趙秀榮前掲論文、63〜64頁。⑶ 神道明子前掲論文、125頁。 四面石の台座に風神王と雷神王が一対に表わされている(松原三⑸ 趙秀榮前掲論文、67頁。⑹ 常青前掲論文、1140頁。⑺ 『大正新修大蔵経』第九巻、395〜396頁。⑻ 『大正新修大蔵経』第二一巻、510頁、515頁。⑼ 『大正新修大蔵経』第十二巻、368〜369頁。⑽ 『大正新修大蔵経』第十六巻、350頁。⑾ 長廣敏雄編『東洋美術』第三巻彫塑(朝日新聞社、1968年、64頁)。⑿ その中でも巻五十六の「入法界品」では、「一切天龍八部鬼神、乃至無量淨居諸天・地神・風神・海神・火神・山神・樹神・叢林藥草・城郭等神」と天龍・八部鬼神以下、諸天と「地神・風神・海神・火神・山神・樹神・藥草・城郭」の神が列挙されている(『大正新修大蔵経』第九巻、757頁(上))。ただし、唐代の訳では「天・龍・夜叉・乾闥婆・阿脩羅・■樓羅・緊那羅・摩■羅伽・梵天乃至色究竟天、諸地神、風神・火神・水神・河神・海神・山神・樹神・園神・藥神・主城神等」となっており、いわゆる八部衆の名が明記されている(實叉難陀訳『大方廣佛華嚴經』巻七十五『大正新修大蔵経』第十巻、408頁(中))。⒄ 八木春生前掲論文、44頁。⒅ 中国画像石全集編集輯委員会編『中国画像石全集』八、石刻線画(河南美術出版社・山東美術― 413 ―⑷ 河南省登封出土の東魏天平二年(535)銘嵩陽寺碑像と滎陽県出土の北周村造像碑が挙げられる。河南博物院編・王景荃主編『河南仏教石刻造像』(大象出版社、2009年、150頁、173頁参照)。⒀ 東晋・仏陀跋陀羅訳『仏説觀佛三昧海經』巻九、『大正新修大蔵経』第十五巻、690頁(下)。⒁ 沈従文編『中国古代の服飾研究』(京都書院、1995年、186頁)。⒂ 曲陽出土像については数多くの資料があるが、本稿と関連して以下が参照される。 ・楊伯達著・松原三郎訳・解題『埋もれた中国石仏の研究─河北省曲陽出土の白玉像と編年銘⒃ 神道明子前掲論文、130頁。なお、『法華経』における神王像の解釈については、『鞏県石窟寺』(河⒆ 趙力光、裴建平「西安市東郊出土北周仏立像」(『文物』文物出版社、2005年第9期)、八木春生「西安北周石造如来立像に関する一考察」(『泉屋博古館紀要』第24号、泉屋博古館、2008年)。⒇ 田林啓前掲論文、115頁によれば、畏獣像は北魏後半から仏教図像の十神王像と影響関係により、それが時を経て、同一視される傾向にあって、北魏後半からの畏獣像は十神王像と同じような性質、機能を持ったものであると認識されたという。■ 村田治郎『中国の帝都』(綜芸舎、1981年、181頁)。■ 唐李百薬■『北斉書』巻十三(中華書局、1972年、173頁)(胡太后)「執送華林園雀離仏院。六世紀前半作例の性質と機能を中心に」(『美術史論集』第10号、神戸大学美術史研究会、2010年)が参照される。郎『中国仏教彫刻史論』図版編、吉川弘文館、1995年、図版104b参照)。文』(東京美術、1985年)。 ・李静傑・田軍「定州系白石仏像研究」(『故宮博物院院刊』文物出版社、1999年第3期)。 ・馮賀軍「河北曲陽白石造像発願文研究」(『故宮院刊』紫禁城出版社、2004年総第1輯)、『曲陽白石造像研究』(紫禁城出版社、2005年)。南省文物研究所編、平凡社、1983年)の204頁を参照。出版社、2000年、図127)。

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