― 414 ―〔表〕描き起こし図の典拠・龍門石窟:水野清一・長廣敏雄、『龍門石窟の研究』(一本文編、同朋舍、1980年、25頁)による(尊■ 本稿で指摘した西域趣味はソグド人と突厥といった北方中国の異民族を意味している。近年ソグド人の西域風の墓が西安や太原から相次いで発掘されている。そこには白玉像の神王像に表わされたような服装をしたソグド人と突厥人が確認される。曾布川寛・吉田豊編『ソグド人の美術と言語』(臨川書店、2011年、216〜317頁参照)。図版典拠図1 大原美術館編『大原美術館名作選』(大原美術館、2004年)図2、3 松原三郎『中国仏教彫刻史論』(図版編、吉川弘文館、1995年)図4、5 東京国立博物館・朝日新聞社編集『中国国宝展』(朝日新聞社、2000年)図6 趙力光、裴建平「西安市東郊出土北周仏立像」(『文物』文物出版社、2005年第9期)図7 陝西省考古研究所『西安北周安伽墓』(文物出版社、2003年)地図は筆者作成。1994年第12期)による。ただし響堂山石窟の山、象、鳥神王像は、筆者による。令劉桃枝拉殺之。」諏訪義純氏によれば、これは『北斉書』巻八後王紀に基づくと、天統五年(569)の二月のことで、この雀離とは西域の亀玆国に、あるいは乾陀罹国に存するエキゾティックな仏寺乃至は仏塔であることは、当時の識者によってはよく了知していたという。諏訪義純『中国中世仏教史研究』(大東出版社、1988年、319頁)。名判定も含む)。・東魏武定元年(543)銘駱子寛像:林保堯 『法華造像研究』(藝術家出版社、1993年、図6〜8)による。 ・鞏県石窟、響堂山石窟、宝山霊泉寺大留聖窟:常青「北朝石窟神王彫刻述略」(『考古』科学出版社、・白玉像群は筆者作成。
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