鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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I ネプトゥヌス像の視覚的源泉─古代石棺浮彫とレオナルドの素描交差ヴォールトを頂く左廊は、南西と南東側壁面にエクセドラを備え、ヴォールトでは《ネプトゥヌス》を中心として、周囲には楕円形の枠で囲まれた4点の物語場面が配されている〔図2〕。各主題は《ウェヌスの祝祭》、《ボールで遊ぶ8人のアモル》、《白鳥と遊ぶ7人のアモル》、《パシファエの牛を制作するダイダロス》であり、フィロストラトス『イマギネス』に基づき、いずれも多数のアモルの戯れを描写しているという点で一貫している(注5)。ヴォールト頂点のネプトゥヌスは、2頭の海馬の引く貝殻へと左足を踏み出し、左手は一頭の海馬に添え、右腕を頭部の横へと挙げた姿で表されている〔図4〕。この姿の視覚的源泉は、すでにチエリ・ヴィアが指摘しているように、現在はヴァティカン美術館所蔵の古代石棺浮彫〔図7〕中央に表されたネプトゥヌスである(注6)。この石棺は15世紀末よりサンタ・マリア・イン・アラチェリ聖堂に設置され、多くの芸術家に知られていた。浮彫中央に表された4頭の海馬を伴い、両腕を広げて立つネプトゥヌスの姿が、ヴォールト頂点の海神像の着想源であることに間違いはないだろう。しかし筆者の考えでは、単独のネプトゥヌス像を表したストゥッコ浮彫は、アラチェリの古代石棺を参照した別の同時代作品、すなわちレオナルド・ダ・ヴィンチの《クオス・エゴ》の素描〔図6〕(ウィンザー城王立図書館蔵)にも霊感を得ていると思われる。ジョルジョ・ヴァザーリによれば、レオナルドはネプトゥヌスを描いた素描をアントニオ・セーニへと贈り、そこにはエピグラムが添えられたという。その一節ではレオナルドの腕前を古代の詩人に劣らぬほどに優れたものと讃え、ウェルギリウス『アエネーイス』第1書において叙述されたネプトゥヌスが嵐を鎮める「クオス・エゴ」(I, 135)の場面が描写されていたことを伝えている(注7)。オリジナルの献呈素描は失われたが、ウィンザー城所蔵の素描には、その初期構想が示されている(注8)。レオナルドが素描を贈ったセーニは、フィレンツェのバルトリーニ銀行に勤務していた人物で、ボッティチェッリからも《アペレスの誹謗》(フィレンツェ、ウフィーツィ美術館蔵)を贈られている。1497年にアレクサンデル6世によって教皇庁造幣局長に任命された後も度々フィレンツェに帰郷していたが、貨幣改革に着手したユリウス2世に招聘され、1504年にローマへと発つ(注9)。レオナルドは1499〜1500年にかけて短期間ローマに滞在し、当時アラチェリ聖堂に置かれていた石棺中央部分におそらく霊感を得て、4頭の海馬を従え、矛を振りかざすネプトゥヌスの単独像を素描に表し、1504年までにフィレンツェで素描を献呈したと考えられる。ちょうどこの頃フ― 32 ―

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