鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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第3章 徒然草図制作における師宣の独自性― 422 ―18)。師宣の師の立詠は、初代の次男、2代立志(1658−1705)と考えられる。師宣は、天和2年(1682)刊『貞徳狂歌集』の挿絵も担当し、野々口立圃の「休息歌仙」や『おさな源氏』を作画の参考にしていることから、貞門の俳諧師と直接的な関係があったとも推察される(注19)。以上見てきたように、師宣が肉筆の徒然草図制作において参考とした『なぐさみ草』の挿絵は、住吉具慶や狩野常信等、御用絵師による徒然草図制作においても参考とされていた。常信や具慶と同時代に江戸で活躍した師宣は、御用絵師の動向を意識していたのではないだろうか。師宣は、立圃や立詠等、貞門の俳諧師から、当時の中心的な画壇における徒然草図についての情報を得ていたのだろう(注20)。師宣は、大衆向けに量産する安価な風俗版画ではなく、高位の人々の俳諧趣味に合わせるべく、『なぐさみ草』の挿絵を参考として肉筆で徒然草を描き、貴人の生活に憧れをもつ裕福な町人や武士、更には上層の人々からの注文を獲得しようとしていたと考えられるのである。師宣が徒然草を制作する際、『なぐさみ草』の挿絵に由来する図柄を取り入れることで、幕府の御用絵師であった狩野派や住吉派という画壇の中枢の動きに同調し、肉筆の徒然草図を制作していく様子を見てきた。しかしながら、師宣の徒然草図制作の特徴として、第54段の仁和寺の僧の失敗談や第45段の榎木の僧正の話など、滑稽な説話をよく取り上げているということが言える。この師宣の傾向は、版画において徒然草図の滑稽化へと進んでいった。通常、『なぐさみ草』の挿絵のように、兼好法師は肘を脇息にあてて、見台の書物を読みふける姿で描かれる〔図14〕。しかし、師宣は、延宝8年刊(1680)『大和絵つくし』の挿絵〔図15〕において兼好法師を寝転がりながら、足を組んで読書する姿で描いている。詞書には、「此よにうまれてはねがはしかるべき事こそおほかるめれ。さかづきをもちてはさけのまん事をおもび、しやみせんをもちては哥うたはん事をおもふ」と、酒を飲み歌をうたうことを願う、享楽的な兼好の姿が記されている。また、天和2年(1682)刊『このころくさ』の挿絵〔図16〕には徒然草を読む女たちが描かれている。しかし、上部に添えられている詞書は徒然草ではなく、「君女の恋の歌」である。また、天和2年刊『岩木絵つくし』の詞書には、「人はよそじに月はくまなきをみるものかなとあり」とある。これは、徒然草第137段の「花は盛りに、月は隈なきを

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