III レオ10世の宮廷におけるネプトゥヌス像語冒頭において「高次の理性(ratio superior)」が欲望の誘惑に抗うことのできない「低次の理性(ratio inferior)」を抑制する、魂のヒエラルキー構造が示されていると説明している(注12)。人間の魂と解釈されるアエネーアスを滅ぼそうとするユーノーは「cupiditates(欲望)」を、女神の要求に従うアエオルスは「低次の理性」を象徴する。対してネプトゥヌスは、「低次の理性」が悪徳の影響に動かされるとその抑制に介入し、元の状態へ戻るように命令する「高次の理性」を表している(注13)。こうしたヒエラルキーの解釈は国家の統治体制に結び付けられ、「高次の理性」は自身の振る舞いに責任を負い、理性的判断を下す国家の最高権力者になぞらえられているのである(注14)。ミヒャエラ・マレクは、レオナルドの前述の素描《クオス・エゴ》がセーニの仕える教皇ユリウス2世を善き君主として称揚した作品と推測し、人文主義的思想に基づく理想的指導者の寓意像としてネプトゥヌスを用いた初期の作例とみなしている(注15)。16世紀中頃以降には、注文主と密接に関連付けられた海神の像がジェノヴァやフィレンツェ、ボローニャで制作されたことがマレク以来度々指摘されている(注16)。中でもヴァザーリは、パラッツォ・ヴェッキオ「諸元素の間」の壁画連作のひとつ《水》に関して、自らの解説中、波に喩えられた移り気な民衆を統治する大公コジモ・デ・メディチ1世という、ランディーノの考えに立脚した政治的暗喩について明言している(注17)。若きロレンツォ・イル・マニーフィコへの政治的教訓が示されたランディーノの著作内容が、その息子であるレオ10世の宮廷にも受け継がれたと推測するのは不自然ではないだろう。レオナルドの素描、ラファエッロの銅版画《クオス・エゴ》はこうした暗喩を表現した初期の作例と捉えることが出来、だとすればヴィッラ・マダマのネプトゥヌスも同様の系譜に属し、その後のネプトゥヌス像の展開へ継承されていく作品として位置付けることができるのである。こうした寓意図像の継承を補足する比較作品として、筆者がここで新たに提示したいのは、レオ10世の宮廷で制作されたタペストリー連作「神々の凱旋」の一枚《船とウェヌスの凱旋》である〔図10〕。「神々の凱旋」は、1520年頃ジョヴァンニ・ダ・ウーディネ、ペリーノ・デル・ヴァーガの下絵に基づいて制作されたと考えられる8枚組み連作である。オリジナルは逸失したが、うち3点については16世紀後半にオリジナル構図に基づき織られたコピーが現存しており、前述の《船とウェヌスの凱旋》はそのうちの1点である(注18)。この構図において、ウェヌスが乗る巨大な船の下に― 34 ―
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