1.徳川美術館所蔵「白地葵紋紫腰替り辻ケ花染小袖」(重要文化財)について徳川美術館所蔵の白地葵紋紫腰替り辻ケ花染小袖〔図1〕、は、慶長4年(1599)に徳川家康より臣下の佐枝種長(1584−1642)が拝領したとされ、徳川義宣氏の論考研 究 者:東京藝術大学大学院 美術研究科 博士後期課程 福 島 雅 子はじめに近世初頭の武家服飾研究において、徳川家康(1542−1616)所用と伝えられる服飾類は、家康歿後の遺産相続目録である「駿府御分物帳」記載の遺品と考えられる作例が徳川美術館等に伝世するなど、桃山時代から江戸時代初期における伝来の確かな極めて重要な作品群といえる。さらに、近世初頭の時期は、中世までの大袖にかわる小袖様式の成立と、それに伴う加飾技法の大きな変換期にあたり、当該作品群はこの一大過渡期の特徴を顕著に示す好例ともいえる。しかしながら、それら諸作例の日本服飾史上における位置付けや、江戸時代以降の武家服飾に与えた影響については、十分な検討がなされているとは言いがたい。本稿は、これら伝徳川家康所用服飾類の中でも、特に葵紋を施した小袖類に対象を絞り込み精査検討することで、江戸時代を通して規範となった武家服制の源流を探るとともに、その成立過程を確認し、近世初頭の武家服飾規範成立の意義の一端を明らかにしようとする試みである。三つ葉葵紋は、徳川家康所用の服飾・調度類に用いられ、江戸時代以降は徳川将軍家および一門の家紋として使用が制限されるとともに、徳川家の権威を象徴する表象として扱われた。徳川幕府は、元和元年(1615)武家諸法度において「衣裳之品不可混雑事」として着用を禁ずる服飾品目等を規定し、さらに同年には「衣服之制」として礼服などに関する大まか服制を制定している(注1)。しかしここでは、江戸時代を通じて強い規範を保った内衣としての定紋付小袖などについては触れられておらず、その成立過程の検証には、現存する当代の為政者徳川家康所用の葵紋付小袖類を分析することが有用であると考えられる。これらの小袖類は、現在、徳川美術館(愛知県)、徳川博物館(茨城県)、紀州東照宮(和歌山県)、東京国立博物館(東京都)などに所蔵されており、以下では、この中でも特に規範成立期の過渡的様相を強く示している2作例について、作品調査結果と併せて分析するとともに、個々の作例相互の関係性についても比較検討を加えていきたい。― 439 ―㊶ 近世初頭の武家服飾に関する研究─伝徳川家康所用服飾類を中心に─
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