鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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2.徳川美術館所蔵「紺地葵紋散槍梅文辻ケ花染小袖」(重要文化財)― 441 ―て定紋を付して形式化される「熨斗目」の最初期の姿を示しているといえるだろう。三つ葉葵紋〔図2〕は、両胸、両袖の後ろ、背の5つ紋の位置に加え、さらに裾の背中心と両衽裾に3か所の合計8か所に配される。葵紋は縫い絞りの技法のみで表出し、他の多くの徳川家康所用葵紋付小袖類において葉脈の描写などに用いられる描絵は併用されていない。外円は浅葱、その内側は紫、葉は萌黄に染め分ける。葉脈および葉柄、全ての葉に見られる白露は白抜きとする。縫い絞りによるため葉脈や葉柄はやや不鮮明ではあるが、形式化しない自由な表現が見て取れる。葵紋の外円の径は10.0〜10.6cm、内円の径は7.0〜7.8cmと、後述する他の徳川家康所用と伝わる葵紋付小袖類と比較しても大型である(〔表1〕参照)。葵の葉は内円の中を充填するようにたっぷりと描かれ、葉の幅は最大で4.0cmにもおよぶ。そのため葉柄は短く、全体の平均で0.7cm程である。本作の葵紋を8か所に置く配置は、五つ紋の位置に紋所が固定する以前の様相を示していると考えられるだろう。さらに、葵紋が大型であり、絞り染のみで染出され、葵の葉に白露が表される点など、〔表1〕に挙げた葵紋付小袖類の中でも他に類例がなく、葵紋の表出形式から見ても作品群中おそらく最も時代の遡るものではないかと考えられる。徳川美術館に所蔵される紺地葵紋散槍梅文辻ケ花染小袖〔図3〕は、元和2年(1616)に徳川家康が薨じた後、第9子の尾張徳川義直がいわゆる「駿府御分物」として受領した遺品であり、以後尾張徳川家に伝えられ、現在は徳川美術館に所蔵されている。家康の遺産である「駿府御分物」とその相続目録といえる「駿府御分物帳」(「駿府御分物御道具帳」とも称す)については、徳川義宣氏の先行研究に詳しい(注8)。家康の歿後、駿府城に蓄えらえていた莫大な財貨の大部分は、第9子の義直、第10子の頼宣、第11子の頼房に分与されたとされ、その際の受渡目録帳として制作されたものが「駿府御分物帳」である。このうち尾張家本(徳川美術館所蔵)および水戸家本(徳川博物館所蔵)が現存する。尾張家本「駿府御分物帳」の現存する11帳中の「駿府御分物之内色々御道具帳」には、「御めし領」として家康自らが着用した衣服を種類別に分類し、次のように記載している。「御めし領 一 白御小袖        三 一 白さや御小袖      壱

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