鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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広がる海の中央に、4頭の海馬が引く貝殻に乗り矛を振りかざすネプトゥヌスが、レオナルドの《クオス・エゴ》を反転したポーズで描かれていることは特筆に値するだろう〔図6〕(注19)。タペストリーに描かれた、海上のネプトゥヌスを中心にトリトンとネレイスのペアを配する構図が、アラチェリ聖堂の石棺浮彫の全体的構図〔図7〕を参照していることは明らかである。また船の上では、玉座の上に両腕を広げて立つウェヌスを中心に、語らう恋人たちや多数のアモルが表され、ウェヌスのいるパビリオンの頂点に配されたサイレンの周囲には、弓に矢をつがえるアモルたちが飛翔している。ここではウェヌスの凱旋が象徴する愛と豊穣が、ネプトゥヌスによって統治された海の平和とともに明確に表現されている。これはレオ10世がヴァティカン宮殿「火災の間」壁画装飾において展開した、「戦火を鎮め平和をもたらす者」という教皇のイメージと的確に重なるものである。こうした細部、主題の組み合わせから《船とウェヌスの凱旋》は、教皇レオ10世の治世下で実現される「平和と繁栄」という理想的イメージと密接に関連することが推測される。ネプトゥヌスとウェヌスを組み合わせる図像上の構成は、ヴィッラ・マダマの左廊ヴォールトにも共通していることは看過しがたい特徴である。左廊ヴォールトでは、ネプトゥヌスのメダイヨンを中心として、フィロストラトスに取材したアモルの戯れ、ウェヌスの楽園が4場面描かれている〔図2〕。これまでウェヌスとネプトゥヌスの主題の組み合わせに関しては、「海から誕生したアフロディーテ」というテーマ上の関連が連想されるにとどまってきた。しかし、ヴォールトと同じく「クオス・エゴ」のネプトゥヌスとウェヌスの凱旋を同一構図に表したタペストリーの存在、さらにそこにレオ10世称揚の図像プログラムとの関連性が見出せることから、このヴォールト装飾にも同一の基本構造を読み取ることができると考えられる(注20)。結語ロッジャの装飾が開始された1520年の初夏、レオ10世(1521年12月没)はいまだ教皇位にあり、左廊装飾に当時のメディチ家当主を称揚する図像が用いられるのは、ごく当然のことであっただろう。以上の検討によって、ヴィッラ・マダマの左廊ヴォールトに表された善き君主たるネプトゥヌスのもと、ウェヌスの治める愛で満ちた世界の実現は、パトロンである教皇レオ10世の統治を軸とする繁栄の暗喩的表現として具体的に理解されることになる。― 35 ―

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