2.ガンダーラの仏伝図にみる「レスリング」① 設置された場所と時系列の状況― 451 ―検討も含めた主題比定と考察がなされている(注6)。これらは何れも他地域との作例比較を通した主題ごとの図像学的考察であり、競試武芸の説話全体との関連や行われた順序に言及するものではない。こうした状況下、A. M. クワリオッティにより、「レスリング」を中心とし、文献検討も含め太子時代の他の競試武芸との連関も視野にいれた論考が提出された(注7)。しかし、そこで利用される文献はサンスクリット、パーリ文献が中心となっており、場面比定にも関わる漢訳仏伝経典の記述とその背景については触れられていない。そこで本報告では、まず先行研究をふまえつつ、作例数も多く、複数のヴァリエーションが知られる「レスリング」図をとりあげて、特に漢訳仏伝に基づいた立場から、この場面の再検討を行う。そして競試武芸の説話全体との関連検討も加え、ガンダーラにおけるブッダ幼年・青年期の表現の展開を跡付けたい。はじめに述べたように、ガンダーラにおいて競試武芸の説話が表現されている浮彫は小ストゥーパの胴部を荘厳していた小型のものである。このなかで「レスリング」の図像は、これら小浮彫のほか、競技用のダンベルとみなされる作例にも表現されている〔図6〕(注8)。両者の図像は共通する点が注目しうるものの、後者の作例は仏伝を表したものとは考え難く区別が必要であろう。本報告の目的上、ここでは小ストゥーパに表現された浮彫をもとに、「レスリング」前後の場面がわかる作例のうちいくつかを取り上げてガンダーラの競試武芸の時系列との関連を考察する。まず、連続した3場面の残るペシャワル博物館蔵の作例をみてみたい〔図7〕。三層の最下段をみると、右端の区画には象を抱え上げる男性像が表現され、太子が象を放り投げた「象の投擲」の説話が表現されている。続いてコリント式柱頭装飾をもつ付け柱により区切られた中央の区画には「弓技」が、そして同様に区切られた左端の区画には「レスリング」が配置されている。こうしたガンダーラの仏伝浮彫では、物語は向かって右から左に展開していくため、本作例が設置された際には、競試武芸の順序としては「象の投擲」に始まり、「弓技」、「レスリング」が行われたと考えられたことがわかる。しかし、〔図8〕にみるように、同様に連続した3場面を示す日本個人蔵の作例では、右端には「剣技」、中央に「レスリング」、左端に「象の投擲」が配置されており、この作例に関わった人々の間では一転して「象の投擲」は種々の競技の後とみなされ
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