― 453 ―耳飾、首飾、腕飾といった装飾品をつけて表現され、どちらも高貴な人物であることが示唆されている。「レスリング」図の左右に視点を移すと、〔図2画面左〕にみられるように椅子に腰かけて王侯風の衣を纏い観察している男性像、〔図10〕のように座り込み見物する人物がみられる。さらに、口元に手をあて布を掲げる人物〔図8画面左〕や、組み合う二人に片手を挙げている人物〔図2画面右〕を配する場合がある。通常、ガンダーラ美術において口元に手を当てて指笛をふいているような仕草は驚嘆、賛嘆、歓喜を示している(注11)。ガンダーラの「レスリング」にもこの仕草が取り入れられ、素晴らしい力を発揮した太子への賛嘆が表現されている。以上に加え、ガンダーラの「レスリング」図に特筆すべきは、同区画内に、背後から腕をさしのべられて支えられ、面前に立つ男性により抱えた壺から水を注がれている男性像の図像〔図11〕を表現する例が認められる点である。「レスリング」におけるこの介抱される男性像をはじめに考察したM. タッディは、倒れて、背後から支えられている男性像の源流として「傷ついたピロクテーテス」図や「オレステスとパイラデス」図といった、ギリシア・ローマ美術の作例を指摘した(注12)。確かに、水を注がれ介抱される男性の図像はインド古代初期美術にも見出すことは出来ない(注13)。サイドゥ・シャリフI遺跡主塔の断片〔図12〕、同小塔断片〔図11〕、ブトカラI遺跡小塔断片に初めて見出だされるものである。これらの遺跡はいずれもガンダーラ北西部スワート地方に含まれ、この他の地域からはラニガト出土〔図13〕の断片が1点確認されるのみである。この図像の制作年代は、以上にみたレスリング図において多数を占める組み合う図像に比して早いとみられている。スワートの発掘に携わったD. ファッチェンナは、ブトカラIから出土した彫刻群を様式的に3つに大別し、初期様式をDrawing Styleとして後1世紀前半とみる。さらにサイドゥ・シャリフI主塔の浮彫について、1世紀第2四半期もしくは中葉という年代を提示している(注14)。以上から、スワートを中心に早い段階で水を注がれる人物像が採用された後、その他の地方ではタイプ1や2の組み合う図像のみに関心が移った推移が読み取れる。加えて、〔図11〕のように、「レスリング」図において水が注がれ介抱される男性像が認められる作例では、同区画に表現される組み合う図像はいずれもタイプ2の、投A. M. クワリオッティも、この様式論を用いて「レスリング」図の様式分類を試み、サイドゥ・シャリフI主塔出土の作例について、ブトカラIの初期様式であるDrawing Styleとし、水が注がれる人物像が表されるのは早期の作例とみる(注15)。
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