― 455 ―以上に挙げた文献群とガンダーラの仏伝図との関連をみるうえで、外薗(1994)では『ラリタヴィスタラ』とその関連漢訳『普曜経』、『方広大荘厳経』の原型成立を、150年頃、西北インドと考えられている点は注目される。以上を踏まえて、まず競技の順序を確認すれば、例えば上記A群『太子瑞応本起経』が「弓術」、「レスリング」、「象の投擲」の順で述べるのに対し、B群『ラリタヴィスタラ』では「象の投擲」にはじまり「レスリング」、「弓技」という順序で物語が進む。このように文献上でも競試武芸の順序については複数の伝承が認められる。次に、ガンダーラの「レスリング」の図像的特徴が見出せる具体的な記述についてみていこう。先行研究では取り上げられてこなかったが、まず、漢訳『太子瑞応本起経』および『修行本起経』のみが、「レスリング」において倒れた人物に水を注ぐ場面を叙述していることは注目に値する。これらは漢訳仏伝のなかでも早期の訳出である(注17)。その記述を以下に検討すれば、『太子瑞応本起経』では、太子が10歳の時の出来事として次のようにいう。太子には従兄弟の兄弟2人がおり、長男は調達(デーヴァダッタ)、次男は難陀(ナンダ)といった。調達は超絶した才能はあったが、そのままでは〔太子に〕及ぶものではなかった。しかし自ら驕り、常に嫉妬を懷いていた。(中略)しばらくしてまた、王の面前でレスリング(手搏)を行おうと願いでたが、〔2人は太子に〕かなわぬと思った。彼らには水が注がれた。(T3 p. 474b)一方、『修行本起経』では太子17歳の時として次のように記している。調達が〔競技〕場に到着して、力士達を打ち負かし敵う者はいなかった。(中略)王は難陀に「お前と調達の2人で相撲をとれ」と告げた。難陀は命を受けるや〔調達を〕打ちのめし、調達は崩れ倒れて気絶した。彼に水が注がれ、ほどなくして息を吹き返した。(T3 p. 465b)このように『太子瑞応本起経』が幼年期の力比べ、『修行本起経』が青年期の結婚に関わるものと異なる伝承であるが、レスリングで打ちのめされた太子の従兄弟に水が注がれたという出来事が記されている。しかしこの伝承は以上の漢訳資料の他にみられない。例えば、『ラリタヴィスタラ』では「レスリング」が以下のように記述されている。
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