4.おわりに以上、「レスリング」を中心として競試武芸の説話を検討してきた結果、明らかとなった点をまとめておきたい。第一に、ガンダーラの「レスリング」図は他の主題と異なり複数のヴァリエーションを持ち、なかでも水が注がれる敗者の男性像を含む図像は制作年代早期とみられる。それ以降の多くの作例では、水が注がれる敗者の人物― 456 ―そのときナンダとアーナンダは菩■と格闘しようと前進した。両名が菩■の手に触れるや否や菩■の力と威光で倒れた。その後、デーヴァダッタが慢心のために円形競技場の周辺を巡って、戯弄しながら菩■に立ち向かった。菩■は冷静にデーヴァダッタを右手に捉えて三度空中に投げた。(Lv. p. 584)『ラリタヴィスタラ』とその関連漢訳では、水を注ぐ説話よりも「レスリング」そのものに比重が置かれている。そして、倒れた人物の描写は組み合って投げられたものとは言い難い。前章で考察した、組み合った後に倒れて介抱される図像が認められる作例は、上記の『太子瑞応本起経』、『修行本起経』に残る、レスリングに敗れて水を注がれたという伝承をふまえることで解釈が容易となる。さらにこの記述をとおせば、前章でとりあげた、装身具をつけた敗者の男性像〔図9・10・13〕についても、太子(『修行本起経』ではナンダ)に投げられたデーヴァダッタに代表される、説話を構成する登場人物として王族の若者を示したものと理解することが出来る。ただし、水が注がれる人物に関する記述を欠く仏伝文献においても、ガンダーラの図像的特徴は見出すことが出来る。それは太子の「レスリング」に関して、人々あるいは天神が歓声を挙げて賛嘆したという記述である(注18)。これらは前項でみたガンダーラの賛嘆者像〔図8〕と文献の伝承と共通している例といえる。また、〔図2・7〕にみるように、王侯風の人物が観察者のように表現されることについては、文献に記されている、見守る太子の父王あるいは、結婚に関わる競技説話に登場する花嫁候補の父が表現されているとみなすことも出来る。つまり〔図7〕のように、はじめに「象の投擲」が表現され、競試武芸に観察者のような王侯風の人物が認められた場合、その制作の背景としての伝承は、ここに掲げた仏伝文献に残るように、太子の結婚と競試武芸が結びつけられていた可能性も指摘できる。
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