鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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1.調査の概要先述の1995年に行われた調査は、高知県の全市町村を対象とした大規模なもので、屏風196点、襖絵39点、絵馬63点、絵馬提灯24点、掛軸101点、白描等1760点、その他56点もの作例が確認され、報告書『土佐の芝居絵─絵金及びその後裔』(注4)にまとめられた。これは絵金関連作品の全体像を把握する上できわめて重要な成果であ― 462 ―㊸ 絵金研究─新しいデータベースの構築と制作活動の実態を探る─研 究 者:香南市赤岡町絵金蔵 蔵長、学芸員  横 田   恵      香南市赤岡町絵金蔵 学芸員  福 原 僚 子はじめに幕末土佐の絵師・金蔵(通称絵金、1812〜76年)は、歌舞伎や浄瑠璃の場面を極彩色であらわした土佐芝居絵屏風を大成した人物として知られる。土佐芝居絵は神社の夏祭礼の際に飾るものとして当時の庶民に熱狂的に受け入れられるとともに、彼の没後も弟子や孫弟子、さらに彼に影響を受けた絵師たちによって昭和戦前まで制作され続けた。1995年、高知県教育委員会によって行われた悉皆調査では、屏風や絵馬、掛軸、白描など2000点以上に及ぶ絵金や弟子たちの作例や分布が確認されたが(注1)、以後も新たに作品が確認され、その一方で散逸した作品も少なくない。調査から約15年を経た今、こうした情報を網羅した新しい資料台帳の作成が必要と考える。絵金についての本格的な先行研究を紐解くと、鍵岡正謹氏は絵金の生涯と画業の全体像を紹介し(注2)、大久保純一氏は浮世絵史研究の立場から江戸・上方文化の影響を指摘している(注3)。しかしながら個々の作品について、いつ、どのようにして描かれたのか、絵金の制作活動の実態は未だ明らかでない部分が多い。その要因のひとつには芝居絵のほとんどが無落款であるばかりか、複数の絵師による合作が認められること、さらに地元高知では長らく絵金やその弟子たちの作品をまとめて「絵金」と呼び習わされてきたため、絵金個人の画業が見えてきにくかったということがある。そこで本研究では、まず絵金及び彼に影響を受けたと考えられる作品の再調査を行い、新しく確認された作品の情報を加えた絵金研究の基礎となるデータベースを作成する。そして芝居絵作品を中心にして、個別に作品の比較を行い、絵金とその周辺の絵師たちの制作活動について考察を試みたい。

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