鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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― 464 ―・衣文線絵金が描く衣文線について、大久保純一氏は「比較的肥痩が少なく、ストロークの長い筆致」(注8)と的確に指摘しているが、それに加えて起筆に力を込めた描線や、やや茶色味を帯びた墨を使用している点〔図3〕を挙げたい。起筆はところどころ狩野派の描法を思わせる打ち込みを表し、また所々に生じた擦れは生き生きとした躍動感を感じさせる表現となっている。・配色土佐芝居絵は鮮やかな色彩の絵具を全面に用いているが、なかでも絵金の作品はその配色、とりわけ赤の使い方に特徴がある。『蝶花形名歌島台 小坂部館』(香南市赤岡町本町二区所蔵、〔図4〕)を見てみると、左扇では大きく描いた女性の着物全体を赤く塗る一方、右扇では女性の襦袢や帯揚げ、奥に小さく描かれた子どもの着物といった細部に赤をちりばめており、この印象強い赤を際立たせるバランスの良い配色を行っている。また赤に対して黒や鮮やかな緑、青などコントラストの強い色を配しており、観る者に色彩を鮮烈に印象付ける効果を生んでいる。・人物の顔立役、悪役、若衆方など、役柄によってある程度決まった型を持っている〔図5〜7〕が、そのパターンごとに各作品を見ていくと描き方に違いが認められた。女方の顔を例に挙げると、〔図8〕は顎の尖った細長い顔、吊り上った切れ長の目をあらわし、感情の表出は少なく硬い印象を受けるが、〔図9〕では顔や目が丸みを帯びている。〔図10〕になるとさらに顔と目がふっくらして女性らしさが出ている。立役の顔では流し目のような切れ長の目尻と丸みを持った目尻があり、後者は目をカッと見開いた力強いまなざしをもって緊迫感を表現することに成功しているといえる。こうした違いはおそらく年を経て様々な経験を積む中で画風の幅が広がった結果、丸みや柔らかさが生まれたのであろうと考えられる。絵金は贋作事件によって城下追放となったのち、おばである宮谷氏を頼って赤岡に滞在したと伝えられているが、その時期や期間は明らかになっていない。しかし町内に伝来する作品群のこうした変化をみると、絵金は短期間にこの一群を仕上げたのではなく、多くの商人や旅人たちが集う商都・赤岡で町の人々と密接に関わりながら、ある程度の長い年月をかけて制作を継続して行ったものとみることができよう(注9)。

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