鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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5.作品の分類芝居絵屏風はこのように3名のみを見てもそれぞれに表現が異なっており、全体を見渡せばさらに表現は多様である。従って明確なグループ分けや系統立った分類を行うことは困難である。ここでは絵金の画風を受け継いだもの、小龍の画風を受け継いだもの、そしてそのどちらの画風も看取することができないものの大きく3つの系統に分けてみたい。― 467 ―表現しようとする指向が見られる。人物の配置は香美市土佐山田町の同作〔表1−173〕、及び〔図19〕と同じくし、配色についてもメリハリは乏しいが、赤色を画面に効果的に配する意思を持っているのが看取できる。顔の描写も目鼻口の配置で若干間延びをした表情になってしまっているものの、絵金のやや丸みを帯びてきたころの顔を受け継いでいるように見える。野口左厳の芝居絵〔表1−182〕、及び〔図20〕は、構図などに絵金の影響は若干認められるものの、絵金よりさらに顔を細く描き、赤を多用するどぎつい色遣いなど、絵金の作風を継承しようとする姿勢は見えず、独特な作風を築いているといえよう。絵金の画風を受け継いだとする作品の中には、上に挙げた彼末堤馬の作品の他にも、南国市片山の『東山桜荘子 佐倉宗吾子別れ』〔表1−139〕、及び〔図21〕のように、絵金筆の同作〔図22〕の再現を目指しているといえるものもあれば、高知市春野町新川の『絵本太功記 尼ケ崎閑居』〔表1−18〕、〔図23〕のように、淡い色遣いや全体的に太い線、構図など絵金の影響は薄く感じられるものの、顔の描写は目尻に丸みを持たせた頃の絵金の顔の特徴を持っている作品もある。構図や色遣いなどから一見絵金画風の受容を感じられないような芝居絵でも、人物の顔の描写に注目して観察すると、絵金の顔パターンを受容していると感じさせるものも少なくない。さらに「野市絵金」と呼ばれた野口左厳のような弟子であっても全く独自の作風を表す者もおり、この中でもいくつかの系統にわけることができよう。小龍の画風は絵金とは全く異なるが、作品全体のなかには小龍の画風を受け継いだものは意外にも多く、その影響下にあった絵師が少なからずいたと思われる。なかには構図や色彩が整理された小龍画風を「上品だ」と好む者もおり、一定の需要があった(注20)。絵金と小龍のどちらの画風でもない作品のなかには、おそらく室内用など祭り以外のために別途作られたと思われる、色調や人物の動態をぐっと抑えた作品が見られる。なお、絵を学んだとは思われない稚拙な作品もあった。

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