⑿ C. Landino, Disputationes Camaldulenses, ed. by P. Lohe, Firenze: Sansoni, 1980, pp. 110−187; M. Harvard University Press, 2004, I, pp. 270−271; ウェルギリウス『アエネーイス』、岡道男、高橋宏幸訳、京都大学出版会、2001年、11−12頁。Marek, Ekphrasis und Herrscherallegorie, Worms: Werner’sche Verlagsgesellschaft, 1985, pp. 86−92.⒀ 「そのためここにおいて、民の生活の欲望がユーノーであるなら、アエオルスはまさしく人間の低次の理性と、逆にネプトゥヌスは高次の理性と理解されるだろう。従って、名誉と支配権に対する非常に激しい欲望から、その低次の理性が方向を変えるとしても、驚くにはあたらない。」“Quo in loco si vitae civilis cupiditas sit Iuno, commode Aeolum inferiorem, Neptunum vero superiorem hominis rationem interpretabimur. Non igitur mirum, si ab honorum ac imperii ardentissima cupiditate ratio illa inferior flectitur [...]” Landino - Lohe, Disputationes Camaldulenses, cit., p. 161より拙訳。「最高の支配権は高次の理性によって保持される。従って、詩人〔ウェルギリウス〕がネプトゥヌスの名によって示すこの理性は、すべてが争乱によって荒らされ揺り動かされるのを見る際には、あたかも山頂のような波の頂から頭を出すのである。」“[...] summum tamen imperium superiori rationi reservatur. Haec igitur ratio, quam nunc Neptuni nomine significat poeta, cum omnia perturbationibus rapi vexarique videat, caput e summa unda veluti ex specula effert.” ibid, p. 165より拙訳。訳出にあたり、大清水裕さんから貴重なご意見をいただいた。⒁ 「実際によく組織された共和国では、ある種の最高政務官が選出され、その人物の判断によってすべてが差配されるにせよ、他の低次の政務官は存在する。」“Verum quemadmodum in bene instituta re publica supremus quidam magistratus creatur, cuius arbitrio, etsi omnia gerantur, alii tamen assunt minores magistratus, quibus singulis singula conmittantur, [...]” ibid, p. 169より拙訳。ウェルギリウス自身によって、荒れる波は群衆に喩えられている。Virgil, Aeneid, I, pp. 148−156.⒂ Marek, Ekphrasis und Herrscherallegorie, cit., p. 92 et seq.⒃ ジェノヴァの海軍総督アンドレア・ドーリアのための宮殿装飾(1534〜38年)、コジモ1世の時代にアンマナーティによって制作されたフィレンツェ、シニョリーア広場の《ネプトゥヌスの泉》(1571〜75年)、ボローニャのマッジョーレ広場に設置されたジャンボローニャによる《ネプトゥヌスの泉》などが挙げられている(1563〜67年)。ibid.; B. Laschke, “Un ritratto di Giovanni Bologna e la Fontana di Oceano nel Giardino di Boboli,” in Giambologna tra Firenze e l’Europa: Atti del convegno internazionale, ed. by S. Eiche - G. J. van der Sman, Firenze: Centro Di, 2000, pp. 65−86.⒄ G. Vasari, Ragionamenti,ed. by G. Milanesi, VIII, Firenze: Sansoni, 1906, p. 28.⒅ この連作は「金と絹、多色のグロテスクによる8枚の織物」として1544年の教皇庁財産目録に初めて記載されて以降、度々記録され、1608年になってようやく「レオ10世のグロテスク」と記される。ヴァザーリが『列伝』において記した、レオ10世のためにジョヴァンニ・ダ・ウーディネが下絵を描いた「グロテスクで満たされたタペストリー」と一般的に同定される。ヴァティカンのオリジナルは1767年、ピウス5世の部屋に掛けられたという記録を最後に散逸した。コピーはオリジナルの構図に忠実な16世紀中頃にブリュッセルで再生産されたシリーズと、18世紀にゴブラン製作所で新たな下絵に基づくシリーズとがある。《船とウェヌスの凱旋》は、前者に属する作例で、1560年頃、ブリュッセルのフランス・ゴーベルスの製作所で織られたと考えられている。N. Forti Grazzini, Gli Arazzi, exh. cat., Roma: Editoriale Lavoro, 1994, pp. 378−391; T. P. Campbell, Tapestry in the Renaissance: Art and Magnificence, exh. cat., New Haven - London: Yale University Press, 2002, pp. 225−229.⒆ 当時、タペストリーの構図は原寸大下絵を反転した状態で織られたため、オリジナルの下絵は― 37 ―
元のページ ../index.html#48