⑹ 『絵金蔵収蔵品目録』香南市、2010年(改訂)⑺ 前出。注⑹参照。 ⑻ 大久保純一「絵金筆 浮世柄比翼稲妻 鈴ヶ森」『国華』1370号、国華社、2009年⑼ 近森敏夫氏の記憶では、戦前にはさらに十数点の芝居絵屏風があったのだが、高知市内の料亭に売られたのち、戦災によって滅失してしまった(「絵金まんだら」30、高知新聞連載、1975年8月27日)という。それらを含めると県下で最多の作品群を有していたことになる。⑽ 箕浦進斎編『古今土藩諸家人名録』(1843年)に「蓮池町 山内國宰画師 林金蔵」との記載⑿ 前出。注⑹参照。⒀ 「絵金まんだら」14、高知新聞連載、1975年8月11日⒁ 河田小龍(1824〜1898)はジョン万次郎の漂流記『漂巽紀略』を著し、坂本龍馬に開国論を説いたことでも知られる絵師だが、13歳で絵金に兄事し、後にのちに芝居絵屏風を製作するなど生涯にわたり親交が深かった。『幕末土佐のハイカラ画人 河田小龍』(高知県立美術館、平成15年12月)参照。⒂ 1836〜1910。深渕(香南市野市町)の人。「野市絵金」と呼ばれた。⒃ 1842〜1926。五台山(高知市)の麓に住んだ絵馬屋。「えんまさん」と親しまれた。⒄ 藤村欣市朗「町絵師絵金の生涯」『太陽』平凡社、1966年4月号・大久保純一「絵金 幕末土― 469 ―⑸ 「八百屋お七歌祭文 吉祥寺」「蝶花形名歌島台 御殿」「東山桜荘子 佐倉宗吾子別れ」(全て⑾ 絵馬提灯は、長方形の箱型に組まれた木枠に和紙を張り、その中に蝋燭をともして和紙面に描かれた画面を見るもので、絵馬を発展させたもの。神社の宵祭りを彩り参道を照らす明かり取りともなり「行燈絵」とも呼ばれた。⒅ 小龍の日記、明治24年(1891)2月9日の条には「弘瀬洞意(筆者注:絵金)ハ師弟ノ交ハリハ無ケレドモ、蘭渓(筆者注:島本蘭渓。土佐の南画家)ニ学ブ頃ヨリ師ノ如クシ洞意亦弟子ノ如クシ、終ニハ弟子ヲ以テ呼ブニ至リ、小龍亦甘ンシテ之ヲ受」とあり(別府江邨『画人河田小龍』「画人河田小龍」刊行会、1966年)、正式に入門はしていないと伝えている。⒆ 近森氏が「絵金まんだら」16(高知新聞連載、1975年8月13日)の図版で紹介している。⒇ 「絵金まんだら」29、高知新聞連載、1975年8月26日■ 吉村淑甫「絵金の背景」『絵金』光潮社、1978年■ 安村敏信「北斎DNAのゆくえ」『北斎一門肉筆画傑作展』板橋区立美術館、2008年■ 近森氏によると赤岡町(香南市)に住んだ絵金の弟子・小味丑太郎が描いた忠臣蔵の芝居絵屏風7点(現在は所在不明)は、人物の顔と手足の部分を絵金が補筆したと述べている(「絵金まんだら」16、前出注⒆)。■ 同一の作者(もしくは作者集団)による作例香南市赤岡町本町4区所蔵)は弟子の作品とされる。注⑹参照。がある。佐の芝居絵」(前出、注⑶参照)など。伊賀越道中双六 岡崎 高知市朝倉・団体蔵(朝倉神社)伊賀越道中双六 岡崎 香南市赤岡町本町四区・個人蔵(須留田八幡宮)加賀見山旧錦絵 鶴ヶ岡八幡草履打ち 高知県立美術館蔵加賀見山旧錦絵 鶴ヶ岡八幡草履打ち 高知市朝倉・団体蔵(朝倉神社)蝶花形名歌島台 小坂部館 高知市春野町芳原・団体蔵(愛宕神社)蝶花形名歌島台 小坂部館 高知市朝倉・団体蔵(朝倉神社)
元のページ ../index.html#480