1.はじめに幕末に、海軍技術を学ぶためにオランダに派遣された内田正雄(恒次郎、1839−1876)は、日本近代美術史研究の領域では重要人物として理解されている。文久3年から慶応2年(1863−1866)までの3年にわたるオランダ留学の間に、内田は同地の美術に関心をもち、現地の画家のもとで学ぶとともに、油彩画や水彩画、そして数多くの写真資料を持ち帰っている。これらの資料は、当時の日本人が実質的に初めて接した「近代」の西洋美術作品群として重要性が高いものであり、明治初年の複数の展覧会で展示されて、強い衝撃をもって見られていたことが知られている。しかし、そこに展示されていた油彩作品は失われており、当時の出品目録の記載によってその存在をうかがうことができるだけだ(注1)。2.内田正雄将来品についてすでに記したように、内田正雄は文久3年から慶応2年(1863−1866)の間、オラ― 474 ―㊹ 幕末オランダ留学生・内田正雄がみた19世紀オランダ美術─東京藝術大学所蔵のオランダ近代水彩画研究─研 究 者:東京藝術大学大学美術館 非常勤講師 熊 澤 弘しかし、近年の稿者の調査により、内田正雄が在蘭時に入手したと考えられる水彩画群が、東京藝術大学大学美術館(以下「藝大」)に所蔵されていることが明らかになった。これは、同館が所蔵する12点の小サイズの水彩画で、それらの多くは19世紀のオランダの画家の手による作品である可能性が高いことが、近年の稿者による調査によって確認されている。稿者はこれまで、内田正雄に由来する水彩画に関する調査報告をいくつか発表してきたが(注2)、その過程で明らかになったことは、このオランダ人による水彩画作品に対する適切な評価がなされていないため、「内田正雄将来の西洋絵画」という価値付けしかなされておらず、作品自体の評価に注目が向けられていない点である。それまでの一般的な評価は、「有名無名の十九世紀西欧画家によるもの」以上のものではなく、同時代のヨーロッパ絵画史、具体的には当時のオランダ絵画との関連について検討されることはなかった。稿者はすでに、藝大所蔵の水彩画の一部について、19世紀のオランダ画家との関連を提示しているが(注3)、本稿では藝大所蔵水彩画の全般的な評価を行いつつ、内田正雄が実際に接していた当時のオランダ美術体験に関する若干の考察を行いたい。
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