― 482 ―ス語で“マルグリット”という名称の雛菊、そして肖像画等、マルグリット・ドルレアンに関連する装飾要素がいたるところに認められる『M時祷書』が、同妃の為に彩飾されたものである事は明白である〔表〕。当該写本の彩飾には、異なる時期に少なくとも3人の写本画家が携ったことが指摘されている(注4)。まず、1420年代に無名の地方画家によって、典礼暦の余白装飾、及び他のフォリオの基礎装飾がほどこされ、1420年代後半から30年代末には、マルグリット・ドルレアンの画家(以下M画家と略す)が、全ての主題挿絵と多くの挿絵ページの余白装飾を担った。そして未完のフォリオ13、17、102については、1450年頃にエチエンヌ・ソドラによって仕上げられたとされている。各写本画家の植物装飾を比較すれば、M画家の独創性は明白である。無名の地方画家、そしてエチエンヌ・ソドラが携った余白装飾が、葡萄の葉、枝を模した装飾模様を基調とした様式に留まっているのに対し〔図1〕、M画家によって完成された植物装飾には、その構成方法のみならず、植物種に著しい多様性が認められるのである〔図2〕。また、それらに地中海世界特有の樹木が数種含まれている点も看過できない(注5)。このような特質は、一見画家の図像レパートリーとの関連性を喚起するが、M画家が携わったとされる他の写本に、同様の傾向を確認することは不可能である。また、E・ケーニヒによって推察されているM画家の経歴には、地中海世界との如何なる接点をも見出せない(注6)。中世末期彩飾写本において、画家の現実世界の再現化に対する関心の高まりが散見されることを考慮すれば、当時、東方、アラブ世界との活発な交流を介し、フランスに多くの植物と、その栽培技術が新たにもたらされていた事実との関連を問う必要性は明らかであった。このような見地から、先ず当時の植物相や植物知識と、『M時祷書』の植物装飾との比較考察、及び各植物の形態表象法の調査を行い、画家の主目的が自然の忠実な再現には無かった事を確認した。更に同調査過程において、植物の形態表象における、極度の恣意的解釈、或いは簡略化が、中世末期のフランスで流布していた薬草図譜にも認められることから(注7)、当時の図像生成方法が、自然観察に基づくものではなく、他の彩飾写本にモデルを求める、という写本彩飾の伝統に立脚したものであることを明らかにした。このような調査結果は、『M時祷書』におけるイタリア彩飾写本の影響を喚起する事となった。というのも、当該写本に認められる多くの果樹や、果実採集図像は、同時代のフランス写本に稀有である一方、イタリア写本に散見できる装飾要素なのである(注8)。ところで、M画家が『M時祷書』を彩飾したと考えられている1420年代後半から30
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