鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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4.大満寺(仙台市太白区)4−1.虚空蔵菩薩坐像〔図13〕 木造・彫眼 1軀 像高36.4cm頭体幹部は木心を前方に外した針葉樹の縦1材から彫出し、内刳りはない。両脚部に本体と同種とみられる針葉樹の横1材を矧ぎ、像底から鎹で留める。像底は深さ2cm程度に浅く刳り込む。両手の袖口に別材を矧ぎ、両手首先を挿し込み矧ぎとする。現状、光背支柱を本体背面に釘留めとする。― 493 ―をなす毘沙門天・持国天(東京国立博物館蔵)のように鎌倉時代の作例に見られる形である。天冠台を着ける金剛力士像は全国的にも珍しいと思われるが、実は仙台市若林区の陸奥国分寺仁王門に安置される金剛力士像(安土桃山時代)に採用されているのである。平安・鎌倉時代の作例よりも、寧ろ奈良時代の東大寺法華堂像まで遡ると思われるこの形式が、中世の陸奥国内においてある程度流布していたとすれば、何らかの権威ある像の姿に基づいていたのではないかと考える。その像として想定できるのは、陸奥国分寺創建時に安置された金剛力士像ではないだろうか。今これ以上に考察する材料を全く持っていないが、古代の陸奥国分寺、特にそこに安置された像の姿について僅かながらも復元するための手がかりとなるかもしれない。単純な構造や浅めに彫られた造作は、近隣地域の室町時代末期から安土桃山時代の作例に通じ、概ねこの頃の作とみられる。4−2.両脇侍(伝日光・月光菩薩像) 木造・漆箔・彩色・玉眼 2軀  伝日光菩薩像(左脇侍・右手上)〔図14〕:像高59.3cm  伝月光菩薩像(右脇侍・左手上):像高58.4cm2軀ともに菩薩形の立像である。現在は虚空蔵菩薩像の厨子内に安置されるが、当初の安置場所は不明である。像の構造は表面仕上げに隠れており、明らかにしがたい。頭部は別材を挿首とするか。着衣部を漆箔仕上げとし、肉身部は金泥塗とみられる。着衣全体に截金で各種の文様を表す。仙台藩の記録である『治家記録』によって知られる、慶安3年(1650)の虚空蔵堂(大満寺)再興、または万治3年(1660)の同堂移建時の作とみられる。同時期の江戸や日光における七条仏所の作例に通じる点が多く、また慶安2年(1649)から承応3年(1654)にかけて進められた仙台東照宮に関わる造像が七条仏所に依頼された(注6)とみられることから、この2軀についても同仏所作の可能性がある。

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