鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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酉五月5.陸奥国分寺(仙台市若林区)日光・月光菩薩立像 木造・彩色 2軀日光菩薩立像(右脇侍・左手上)〔図15〕:像高91.4cm 背面陰刻銘「奉寄進 當山現住西大門有性 奥州住寛慶圓信作 正保二年 己吉日」月光菩薩立像(左脇侍・右手上):像高92.0cm 背面陰刻銘「奉寄進 當山現住西大門有性 奥州住寛慶圓信作 正保二年 己吉日」陸奥国分寺薬師堂の須弥壇上、本尊宮殿外の左右に安置される。手先・足先以外の全身を、天衣遊離部も含めて木心を外した針葉樹一材から彫出する。像表面は全身白色下地彩色とするが、現在の彩色は江戸時代後期に塗りなおされたものとみられ、当初の彩色層がその下に一部残存しているとみられる。□五月6.圓通院(宮城郡松島町)伊達光宗騎馬像ほか計9軀(伊達光宗霊屋 三慧殿安置) 伊達光宗騎馬像〔図16〕 木造・彩色・玉眼 1軀 馬上高(馬を含む) 61.4cm 神将形立像〔図17〕 木造・彩色・玉眼 7軀 像高47.4〜49.5cm  千手観音立像 木造・彩色・玉眼 1軀 像高24.1cm 木造・漆箔・玉眼仙台藩2代藩主・伊達忠宗の嫡男で、正保2年(1645)に19歳で亡くなった光宗の霊屋厨子内に安置される群像。霊屋は正保4年(1647)に建立されたことが現存する棟札に記されており、本群像も同時期の作とみられる。各像の保存状態は良好であり、本群像を納める霊屋や厨子の状態も良好に保たれていることから、当初からの構成と認められる。― 494 ―銘のとおり正保2年(1645)の作とみられる。「奥州住」とある点や、作行から仙台近辺で制作されたことが有力視される。作者である「寛慶圓信」については不詳ながら、浅く硬い彫り口や、天衣遊離部と体部の間を窓のように透かすやり方など、伽藍の装飾彫刻などを手がける工人の系統に列なる人物かと思われる。また、先に述べた大満寺虚空蔵菩薩坐像のような木彫像とも一脈通じ、在地工人の系譜を想定する上で、一つの起点となり得る像である。厨子内に9軀の像が隙間なく安置されており、束帯姿で騎馬し弓矢を執る伊達光宗像を中央に、左右各3軀・背後(北側)に1軀の計7軀、四天王像のような甲制の神将形立像が安置される。さらに光宗像と背後の神将形像の間に1柱を立て、外形が如

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