鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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8.蟠桃院(京都府京都市)伊達政宗夫妻像 狩野玄徳筆 雲居希膺賛絹本著色 1幅 縦62.1cm×横27.4cm仙台藩初代藩主・伊達政宗(1567−1636)と夫人・陽徳院田村氏を描いた画像。作者は、当時仙台藩や瑞巌寺関係の絵画制作にあたった狩野左京の子・玄徳(1607−69)であり、雲居希膺が着賛している。賛の上部2箇所に梵字の朱文円印が捺され、向かって右が(ka)、左が左右反転した左字の(hrı¯h.)、ともに絹表から捺されている。この二種の印を用いた雲居の墨跡や画像賛が複数確認されており、承応2年(1653)から雲居が示寂した万治2年(1659)頃までの年紀が判明することから、本画像の制作時期の目安とできる。また表具裏に貼り込まれた古い裏貼と思われる紙には、本画像が陽徳院自身によって施入されたことを狩野玄徳の子・友徳(1634?−1689)が記している。これに信を置けば、陽徳院が亡くなった承応2年(1653)1月頃が制作下限となる。― 496 ―仏匠」に命じて寿像を彫刻させたことに加え、夫人と像の関係について「真身則寿像、寿像則真身」との語を記す。この寿像は瑞巌寺に現存しており、身頃と袖の間に空間を設けた独特の造りから、当初より法衣を着した状態で安置されたとみられる。「真身」との認識に関連する事象と言えよう。あるいは法衣も夫人所用のものであったかと考えられる。こうした記述を有する本史料は、近世における肖像彫刻、特に寿像の制作過程および安置形態を考える上で重要といえる。なお、この寿像は夫人没後に建立された霊屋に移安され、現在は瑞巌寺宝物館に安置されている。陽徳院存命中の慶安3年(1650)2月〜同5年(1652)3月頃までには、7個人蔵開眼誠述の項で触れた陽徳院寿像が、また同5年2月には夫である伊達政宗の十七回忌に先立ち甲冑姿の倚像が開眼されており、この2軀は、いずれも本画像に近い姿で表されている。開眼法語の記録などによって両像は京都の仏師に注文されたことが判明するうえ、政宗像については画師を京都へ派遣したことも知られる。造像に先立って下絵が存在したとみられ、本画像はこうした下絵とかなり近い関係にあるか、あるいは下絵そのものに当たる可能性が考えられる。なお、狩野玄徳がほぼ同様の夫妻像を描き、雲居が同文の賛を記した画像(個人蔵、仙台市博物館寄託)がもう1幅現存している。この個人蔵本では、雲居の印は蟠桃院本と同じであるが、作者・玄徳の印章が異なり、寛文2年(1662)に着賛された作例

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