― 507 ―出身のル・ジェアンなる画家が描いた絵があったという。また聖アレクシウスの像が二つもあり、この聖人に対する特別な崇敬があったことを窺わせる(注18)。最後に1644年設立のメスの男子修道院にはバイイ長官アンドレ・ポルスレット・ド・マィヤン未亡人が寄進を行った記録がある。18世紀の記録によれば、この修道院の図書室には「灯りの灯ったろうそくの燭台を手にした12〜15歳の少年イエスに照らされながら木工の仕事に取り組む聖ヨセフの絵。フランドルの有名な画家の作品」が所蔵されていたという(注19)。以上、ここでは概要に留めるが、ナンシー、およびメスの男子・女子の跣足カルメル会修道院で好まれた主題は、ラ・トゥールが描いたさほど多くはないレパートリー、すなわち「12使徒」「マグダラのマリア」「聖アレクシウス」「聖ヨセフの夢」「大工の聖ヨセフ」などとも一部重なりあうことがわかる。ことに画家の代表作《大工の聖ヨセフ》〔図5〕を強く想起させるメスの男子修道院図書室内の「夜の絵」に関しては、イタリアのモンテコンパトリの跣足カルメル会男子修道院内にも、ホントホルストによる同主題の絵があったことが明らかになっている。イタリアの作品は、当時ローマの他の跣足カルメル修道院のためにも制作を行ったホントホルストに、パトロンの教皇パウルス5世やシピオーネ・ボルゲーゼが描かせたものとみられる(注20)。離れた二つの修道院に同様の夜の場面の絵が存在した事実は、共通の思想「暗夜」の修練が実践される場だからこそ、同じ主題が求められたとは考えられないだろうか。また今回の調査で判明した興味深い事例を紹介しておきたい。1623年設立のメスの跣足カルメル会修道院で初めてメス出身の修道女が誕生したのは1632年のことで、そのアンヌ・マガンの名は修道院の歴史に残されている(注21)。ところで、ラ・トゥール研究者ランボルはメス市民の遺産目録のなかの「夜の絵」の所蔵例を詳細に調査し、「大工仕事をする聖ヨセフの夜の絵」「三つの夜」「聖ヒエロニムスの夜の絵」という、ラ・トゥールの絵画や、メスの男子修道院の作品を想起させるような3点の作品を所持し1653年に死去した評定官ルイ・マガンを指摘しているが、ルイはこの修道女の従兄であったと思われる(注22)。また修道女の父、ルイの叔父にあたるジャン・マガンの名も修道院の記録に幾度か登場する。つまり「夜の絵」を所持したメス市民ルイ・マガンは在俗ながら跣足カルメル修道会と関連を持つ人物ともいえる。またラ・トゥール研究のなかでほとんど指摘されることはないが、膨大な遺産目録のなかに、自身の作風とは異なる「マグダラのマリア」や「火のついた蝋燭を手に持つイエス」といった9点「夜の絵」を所有していた宮廷画家ドリュエも、先述したようにナンシーの跣足カルメル会に帰依していたひとりといえる(注23)。実際に修道会の
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