1.日記の概要以下では、まず日記記録の内容を概観してゆく。日記記録は1895年の1月1日から始まり、1896年に記録は一旦中断したが、1898年には再開し、C. R. R. ヴァルマーが悪性腫瘍で亡くなる約一年前の1904年の1月1日まで続けられた。日記記録が書かれた目的は定かではないが、1894年10月から1895年5月までの間、インド南西端のトラヴァンコール藩王国の王子、マータンダ・ヴァルマー(Martanda Varma)の北インド― 518 ―㊾ インド人画家C. R. R. ヴァルマーの日記記録に関する研究研 究 者:国立民族学博物館 外来研究員 福 内 千 絵はじめに英国植民地支配下にあったインドにおいて、西洋近代化の影響を色濃く受ける中で、西洋の絵画技法に拠りながら制作活動をおこなったインド人画家は少なくないが、その制作実態は詳らかではない。記録としては、M. V. ドゥランダル(M. V. Dhurandhar 1867−1944)、民族主義的なベンガル派の画家として先導したアバニンドラナート・タゴール(Abanindranath Tagore 1871−1951)とその門下生ヴェンカタッパ(Venkatappa 1887−1965)など、20世紀前半に活躍した画家たちが自らの経験や考えなどを記したものも少なからず残っている。しかしながら、美術史家ミターの指摘するように、19世紀末から20世紀初頭にかけての最も早い時期の記録として唯一現存するのが、C. ラージャー・ラージャー・ヴァルマー(1860−1905 以下C. R. R. ヴァルマー)のものであるといえる(注1)。C. R. R. ヴァルマーの日記記録は、一時中断あるいは欠落している期間があるものの1895年から1904年までの10年足らずの間、ほぼ継続的に日々の行動を記しており、当時の絵画状況を窺い知ることのできる一次資料的価値の高いものである(注2)。C. R. R. ヴァルマーは、インド近代絵画の代表的な画家とされるラージャー・ラヴィ・ヴァルマー(Raja Ravi Varma 1848−1906 以下ラヴィ・ヴァルマー)(注3)の実弟である。C. R. R. ヴァルマーは、兄との共同制作においては神話画の背景を担当したばかりではなく、自身もまた油彩による写実的な風景画を発表しており、画家としての活動は決して些少なものではない。しかしながら、ラヴィ・ヴァルマーの輝かしい功績の陰に、これまでC. R. R. ヴァルマーの存在は、看過されがちであったといえる。本稿では、C. R. R. ヴァルマーの活動に光を当てて、当時の作品の制作状況や交誼関係を明らかにしながら、C. R. R. ヴァルマー自身の芸術観を探ることを試みたい。
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