2.作品の制作状況以下では、C. R. R. ヴァルマーが、どのようにして作品を制作していたのかについ― 520 ―務にあたっている。しかし、はじめに触れたように、C. R. R. ヴァルマーもそうした形で兄との密接な関わりを持ちながらも、ひとりの画家として芸術を追求した様子も克明に記されていることを見落としてはならない。て日記記録から窺えることを取り上げてみたい。従来の研究では、C. R. R. ヴァルマーはラヴィ・ヴァルマーが描く肖像画や神話画作品の人物像の背景画を担当し、自身の作品としては専ら風景画を描いたと見られている。事実、日記記録には具体的に、ラヴィ・ヴァルマーがマドラス美術展に出品しようとしていた神話画作品《ダマーヤンティとハンサ鳥 Damayanti and Hamasam》〔図3〕について、ヒロインの人物像ダマーヤンティの背景となる建物の柱の部分を手掛けていたことが記されており(注6)、今日ラヴィ・ヴァルマーの作品とされる神話画作品は、兄弟による共同作業によって制作されたものもあることを裏付ける。しかし、肖像画制作に関しては、詳細に日記をみてみると、ラヴィ・ヴァルマーが描いた肖像画の背景を描いただけではなく、自身も肖像画の人物像を手掛けていたこともあったということが分かる(注7)。肖像画制作において特筆しておきたいのは、19世紀後半にインドにも新しいメディアとして到来し、注目を集めた「写真」は、大変重要な役割を担ったということである。19世紀末の英国人画家たちが一般的に写真を使用して人物画を描いたように、C. R. R. ヴァルマーもまた、描こうとする人物の写真をまず撮影し、それを見ながら肖像画を制作したようだ(注8)。最終的には実際の人物と肖像画とを見比べて、必要のところは手直しをするといった方法で制作をおこC. R. R. ヴァルマーは、ラヴィ・ヴァルマーと同様に、敬虔なヒンドゥー教徒が一般に行うように、毎朝沐浴してお祈りを済ませてから仕事に取り掛かり、昼食後午睡し、日が暮れるまで少し仕事をするかあるいは外出するというのが、通常の一日の流れであった。年間を通しては、主に夏のモンスーンの時期はアトリエのあるボンベイで委託制作の仕事をし、秋には地元のケーララに戻るというリズムで、その時々に各地の藩王や政府高官らから委託制作を受けると現地に赴き、滞在制作を行ったようである。C. R. R. ヴァルマーの仕事は、ラヴィ・ヴァルマーと同様に主に二つに大別できる。ひとつは、期限の限られた肖像画などの委託作品の制作で、もうひとつは、自分の描きたいものを自由に描くという展覧会出展用の作品の制作であった。
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