3.交誼関係本項では、とりわけ絵画活動に影響を与えたと思われる交誼関係について取り上げ― 521 ―なっている。この他に、人物のポーズ像を撮り収めた写真から、神話画の神々の姿が描かれたり、自作品の複製画をつくる際も参照されるなど、絵画制作において写真は様々な場面で用いられた。このように、当時の作品制作において写真が重要な役割を果たした様子が窺えるが、もとより忠実な写実描写を得意としたC. R. R. ヴァルマーにとって、写真の登場は、自身の表現の可能性を問うものでもあったと考えられる。ところで、日記記録には、絵画制作をしない日の余暇のことも綴られていて興味深い。それらによると、C. R. R. ヴァルマーは、友達との世間話を楽しんだり、買い物に出かけたりして過ごしたことが記されている。また、折にふれて書店や図書館に行って、英国やドイツ、フランスなどヨーロッパで刊行された美術雑誌を目にすることも多く、当時のヨーロッパの絵画動向にも高い関心があったことが窺える。また、ボンベイ滞在中は、ラヴィ・ヴァルマーと共に当時流行っていたパールシーの一座の舞台公演や地元キリマヌールでも演劇や音楽鑑賞を楽しんでいた様子が生き生きと記されている(注9)。これらからは、C. R. R. ヴァルマーが兄と共に、様々な書物や芸術に接して教養も深めていたことが分かる。てみてみたい。C. R. R. ヴァルマーの交誼関係は、大きく三つ分けられる。その一つは、藩王や王族をはじめとした上流階級の人々との親交である。日記記録には、C. R. R. ヴァルマーが肖像画を手掛けた名士たちの名がリストアップされている(注10)。C. R. R. ヴァルマーは、ラヴィ・ヴァルマーと行動をともにすることが多く、ヴァルマー兄弟として、裁判官や高等文官、行政官、政治家、地元の藩王や王族、側近などの人達と出会う機会も多かった。ヴァルマー兄弟は、こうしたいわゆる名士たちの紹介を通じて、さらに交友の輪を広げていたようにみえる。そうした交友が委託制作の請負に重要なネットワークとなった。その二つは、一般の人々との交友である。西インドの港湾都市・ボンベイでは、上述した上流階級の人々と交流すると同時に、市井の人々とも積極的に交流していた。アメリカの役者や、船長、パールシーの企業家、宮廷の踊り子たちである。彼らとの交流から様々な世界のことを知ろうとしていた様子が見て取れる。その三つは、民族主義者との交友である。C. R. R. ヴァルマーは、インド国民会議派の指導者ゴーカレー(Gopal Krishna Gokhale 1866−1915)とも親交があったことは知られている。南インド・マドラスで開かれた国民会議派の大会に参加し、当時の会
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