1.産業見本としての日本日本の造形が注目された背景には、英国が抱えていたデザインの停滞を克服しようとする向きがあった。いち早く産業革命を成し遂げ、技術の面では諸外国に先んじていながら、デザインの品質に関しては技術的な後進国にすら及ばないとして、英国の産業デザインは全面的な見直しを迫られていた(注3)。現状を打開し産業を振興させるべく、英国王室を後ろ盾に装飾美術博物館が創設され、各国の優れた装飾美術を収集、展示するようになったのも、こうした経緯によるものであった(注4)。62年のロンドン万博における日本美術の紹介は、まさに英国の美術関係者がデザイン上の改善策を海外に見出そうとしていたときに行われたものであった(注5)。― 527 ―㊿ ルイス・フォアマン・デイのデザインにみられるジャポニスムはじめに英国における日本の美術工芸の紹介は、産業と芸術をめぐる動きに即して考えてみる必要があるだろう。日本の造形は、1862年のロンドン万国博覧会以降、広く知られることとなり、生活と美の融合が実現された産業見本として美術関係者からの注目を浴びていた(注1)。ルイス・フォアマン・デイ(Lewis Foreman Day, 1845−1910)もまた、このロンドン万博をきっかけに日本の造形に着目し、それを制作に活かしながら、著作を通じて日本の装飾原理を推奨したデザイナーの一人である。また、彼はアーツ・アンド・クラフツ展覧会協会の創設メンバーであり、この時代にもっとも商業を意識し、成功したデザイナーでもあった。しかしながら、デイに関する先行研究はきわめて少なく、これまでにそのデザイン活動がジャポニスムの視点から論じられることもほとんどなかった(注2)。よって本稿では、デイの日本美術に関する言説およびその影響がみられるデザインを端緒に、19世紀末の英国の産業デザインとジャポニスムの相関性について報告することにしたい。この万博の日本部門には、初代駐日英国大使をつとめたラザフォード・オールコック(1809−1897)が日本で蒐集した個人コレクションが展示された。オールコック自─十九世紀末・英国の産業デザインとジャポニスムの一例─研 究 者:日本女子大学大学院 人間社会研究科 博士課程後期粂 和 沙
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