2.ルイス・フォアマン・デイここで、L. F. デイの活動とその研究状況について触れておこう。彼のデザインした壁紙やテキスタイルはアーツ・アンド・クラフツの文脈においてたびたび取り上げられてきたが、その生涯や活動の詳細については近年になってようやく研究が行われるようになったばかりである(注11)。― 528 ―身が編集したカタログには、漆器、竹細工、陶磁器、金工、紙製品、テキスタイルなど600以上もの品物が出品されたことがわかる。博覧会の翌年に出版された産業芸術の名品集には、日本のブロンズ製品や陶磁器、漆芸が「名品」として掲載されている。たとえば、漆芸については図版とともに掲載され〔図1〕、「漆芸における日本のよき趣味と創意は、図版で指し示した題材において驚くほどはっきりと示されていた。[…]我が国の製造業者はそうした作品を研究し、今日の根本的に誤った装飾の手法を改良するとよいだろう。」(注6)との解説が添えられている。このように、日本の美術工芸の評価は英国製品のデザインの現状が憂慮されるなかで引き出されたものであることがわかる。ここで、当時「誤った装飾の手法」とみなされた例として、たとえば《ウェリントン候と勝利》〔図2〕と題された壁紙についてみてみたい。多色刷りで、かなり細かい部分まで鮮明に印刷されており、この当時の印刷の技術の高さを知る上では興味深い作例だが、このように歴史や教訓を織り交ぜた壁紙は、当時の美術関係者からは攻撃の的となっていた(注7)。また、ランカシャー製のテキスタイル〔図3〕のように、奥行きのある画面に写実的な図案を配したデザインもまた厳しく批判され、改善を求められる傾向にあった(注8)。渡辺俊夫は、この頃指摘された日本美術の特徴として、アシンメトリー、対角線を用いた装飾原理、シンプリシティなど挙げているが(注9)、産業デザインの改良が叫ばれる英国において、まず注目されたのは、こうした日本の造形だったのである(注10)。デイは、1845年にロンドンでワイン販売業を営む家庭に、9人兄弟の三男として誕生した。ロンドンのパブリック・スクールを経て、語学を習得するため、約二年間をドイツで過ごしている(注12)。62年のロンドン万博を前に帰国すると、ステンド・グラスの製造会社でデザイナーとしてキャリアをスタートさせた。デザイン学校の通学が叶わなかったデイは、この間にサウス・ケンジントン博物館に展示されていた各国の装飾美術コレクションのスケッチをしたり、A. W. N. ピュージンやオーウェン・ジョーンズといったデザイン改革者たちの思想を研究するなどして、独学でデザインを学んだという(注13)。こうした下積み時代を経て1869年に独立すると、フリーの
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