注⑴ 1862年以前は、旅行者を中心にしてしか語られることのなかった日本美術が、この万博を機に、芸術家や批評家といった美術関係者のコメントが増え、そのデザインの全般的な特徴や原理を推定し、自国のデザインへ反映させようとする試みが展開していった。具体的な言説については以下参照。Watanabe, Toshio. High Victorian Japonisme, Bern: New York, 1991, pp. 149−159.⑵ 彼のデザインにおける日本美術の影響を指摘した先行研究に、たとえば以下がある。松村恵理『壁紙のジャポニスム』思文閣出版、2002年、pp. 107−108. だが、あくまで言及にとどまり、詳細な分析はなされていない。⑶ たとえば、高名なデザイン論者であったウィアットは、次のように述べている。「我々が、産業芸術におけるデザインの一貫性において、過剰なまでに未開に等しいとして見なす傾向にあった者たちが我々よりもはるかに勝っていたということに気がつき、驚くのは当然にほかならない。」M. D. Wyatt. ‘Form in the Decorative Arts', Lectures on the Results of the Great Exhibition of 1851. London, Printed for the Society, 1853, pp. 229−230.⑷ 装飾美術博物館(Museum of Ornamental Art)は、第一回ロンドン万国博覧会に出品された各国の装飾美術と英国王室のコレクションを核に1852年にペル・メル街に開館した。1857年の移設に伴いサウス・ケンジントン博物館に、1899年にヴィクトリア&アルバート博物館に改称。装― 532 ―に制作されたと思われる。彼がこうした日本の自然描写に着目した背景には、先にも述べたように、奥行きのある画面に写実的な図案を配したデザインに対する批判的な見方があったことは確かである。デイはこうしたデザインの打開策を日本の造形に見出そうとしたのである。おわりにデイは日本の造形のなかでもとくに平面化された自然描写に着目し、それを自らのデザインに積極的に取り込んでいった。こうして生み出された彼のデザインは、ステンド・グラス、壁紙、タイル、陶磁器、家具など、生活にかかわる様々なものへと形をかえ、幅広く普及した。また、彼が繰り返し言及した日本の造形についての記述は、後進のデザイナーたちにも影響を与えたと思われる。これまであまりジャポニスム研究において論じられることはなかったが、これらの点を考慮すると、彼が英国におけるジャポニスムの浸透に果たした役割は大きかったといえる。また、デザインに対するある種の危機感から異国のものに目を向け、それを自らのデザインへ取り入れ発展させてゆくという姿勢は、英国の産業社会におけるジャポニスムの様相を象徴しているといえよう。デイのデザインや著作の全容を把握し、そのほかの東洋諸国との関連や同時代のデザイナーとの比較も視野に入れながら、今後さらに研究を進めてゆきたい。
元のページ ../index.html#543